2024年9月8日日曜日

男女共学

 先日の日経新聞に面白い記事が出ていた。戦前、学校は基本的に男女別学だったが、戦後のGHQによる改革で旧制中学や高等女学校の男女共学への転換が進められたという。しかし、地方によって進捗はまばらで、その後共学化が進むも、現在でもまだ全国で公立高校の42校が男女別学なのだという。その中でも埼玉県には12校が残っているらしい。そう言えば大学時代のラグビー部の同期は県立浦和高校の出身だったが、同校は男子校である。

 私は都立高校を卒業したが、もちろん男女共学である。第一希望は地元の都立高校で、滑り止めに私立を受けたが、当時都内の私立高校はほとんどが別学であった。私はもともと親への負担を考えて公立高校を志望したが、それだけが理由ではなく、共学へ通いたいという思いもそれに加わっていたのである。念願かなって無事、第一志望の都立高校に合格したからよかったものの、不合格で滑り止めの私立に行っていたら男子校だったわけであり、そうなっていたら、親に申し訳ないという思い以上に残念だっただろうと思う。

 記事にも書いてあったが、男女共学化に対しては、OBを中心に根強い反対論があるらしい。高校時代、私立高(つまり男子校)に進んだ友人が、男子校はいいという話を力説していた。私は聞き流していたが、男子校には男子校の良さがあるというのが、たいがいの男子校出身者の主張である。それを否定するつもりはない。もともと高校時代というのはただでさえ楽しい時期である。男女別学だろうが共学だろうがそれは変わらないだろう。男子校出身者の主張に反論するつもりはまったくない。ただ、私自身は共学派であるというだけである。

 そもそもであるが、なぜ男女別学だったのかと言えば、それは「男女七歳にして席を同じゅうせず」という伝統だろう。男女の間にはどうしても性的な関係が絡む。自由な恋愛が御法度だった時代には余計な騒動を回避するという意味では、意味のある事だったと思う。しかし、現代ではもう男女を分ける意味合いというのはなくなってきている。共学であれば「恋愛にうつつを抜かして勉強に身が入らない」という考えがあるのかもしれないが、別学にすれば解決するという問題でもない。

 私は絶対共学派だったし、都立高校に入って過ごした3年間、やはり共学で良かったと思う。初めて彼女もできたし、彼女でなくてもマネージャーやクラスメイトなどに女の子がいるのはやはり違う。卒業してもクラス会で女性がいるのは華があるし、今に至っても女友達は男友達とはまた違う良さがある。ラグビーの試合も女子マネがいるとそれだけで気分が違う。試合が始まれば意識から抜けてしまうが、その前後の気分は違う。自分だけを観ているなどと自惚れるわけではないが、「目を意識する」のは確かである。やっぱり自分は男なのである。

 大学は女性比率が低く、法学部のゼミは男だけであった。なんとなく男子校の雰囲気は味わえたが、やはり女子が参加していると気分が違う。男子校の良さを訴える声を否定するわけではないが、共学の良さを知っても尚それを主張できるだろうかという気はする。今年は久しぶりに高校の同期会があるが、とても楽しみである。もう還暦のジジイとババアの集まりであるが、高校時代の友人は歳をとってもあまり違わない。たぶん一緒に歳をとっているからだろう。

 男子校の楽しさがわからないのは残念ではあるが、わからなくてもいいし、わかりたいとも思わない。東京はさすがにGHQのお膝元だったから共学化が進んで公立高校は共学になったのだろう。我が家は子供たちも2人とも公立高校だったから、親子でその恩恵を受けた事になる。戦争に負けてGHQに変えられてしまったもののうち、間違いなく良かったのはこの共学化だろう。今まで知らなかったが、改めてその点だけはGHQに感謝したいと思うのである・・・


StockSnapによるPixabayからの画像

【本日の読書】
戦争と経済 舞台裏から読み解く戦いの歴史 - 小野圭司 ひこばえ(下) (朝日文庫) - 重松 清






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