2024年8月28日水曜日

友人K

 友人Kは、私の銀行員時代の友人である。銀行内の研修で隣に座ってからの仲で、いろいろと共通点が多く、その場で意気投合。後に同じ職場になった事からも親しくしてきた。私が銀行を辞めてからも何度か2人で飲みに行ったりした。しかし、最近は疎遠になってしまっている。お互い職場が違うというのもあるが、それ以上に何か私の方が原因で彼に距離を置かれてしまっているような気がしてならない。何度か誘ってはみたものの、多忙との事で色よい返事はなく、返事すらなかった事もある。鈍い私でも何となく感じるところがあってそれ以上声はかけていない。

 もしかして私の気のせいで、本当に忙しかったのかもしれないし、メールも見ていないか気がつかないのかもしれない。ただ、何となく感じるだけなので何とも言えない。はっきりとわかればいいのだが、もしも会いたくないのなら直接言うのも憚られる事だろうし、たぶん私が知ることはできないのだろう。そういう相手が他にも1人いるし、私にも良くないところがあるのだろう。何がいけなかったのかと考えてみるも、残念ながらこれと言った原因は思い浮かばない。

 あれこれと考えてみると、まったく思い浮かばないという事でもない。何かと考え方も同じで息が合った彼であるが、唯一意見が合わなかったものがある。それは「仕事に対する考え方」であった。私は仕事は楽しいし楽しむものという考え方だが、彼は仕事は辛くて厳しいものでありやりたくないものという考えであった。退職してから何度か彼と飲みに行ったが、私は仕事が楽しいという話をしたと思うし、彼もそれに対して異を唱えていなかったが、内心では快く思っていなかったのかもしれない。

 退職後の収入も違っていた。銀行員時代は同じ職責だったのでほぼ給料は同じだったと思うが、私が退職し、彼が子会社に転籍して収入に差がついた。お互いに年収はダウンしたが、私は3割減、彼は半減という感じである(ちなみに今は銀行員時代の年収にほぼ近い)。銀行は52〜53くらいを目途に関連会社に移るか他社に転籍するか、銀行に残るにしても一旦退職して退職金をもらい特別職員となるのである。そこで年収はぐっと下がる。銀行としては人件費を抑える必要もあり、そういう制度を設けているのである。彼は関連会社へと転籍したのである。

 銀行というところは、心穏やかに働けるところではない。全部の銀行とは言わないが、最近読んだ『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』によると、みずほ銀行(筆者は富士銀行出身)でも似たような状況だったので、どこもかしこも似ているのかもしれない。何より一番のストレスは人間関係である。私も仕事自体は面白いと思っていたが、特に上司との関係は最大のストレス要因であった。簡単に言えば意見が合わないのである。

 意見が合わないのは仕方ない部分もあるが、私の建設的な意見を「石橋を叩いても渡らない」的な保守的・保身的考えで否定されるのは本当にストレスであった。そんなエピソードは数えきれないほどある。彼ともよく互いの愚痴を言い合っていたが、転職後は私はそういうストレスからは解放されてのびのびと仕事をした(前職では「そうせい候」の社長の下、ほとんど1人で会社の経営を担っていたほどである)。それを彼に楽し気に語ったのが面白くなかったのかもしれない。

 彼は仕事を続けたくなかったのだろう、今年定年退職している。私はと言えば、住宅ローンも残っているし、息子はまだ大学生だし、定年退職など夢のまた夢であるからうらやましい限りではあるが、たとえゆとりがあったとしても仕事は続けるだろう。それは仕事を楽しめている(ストレスを感じていない)からに他ならないが、その点でも彼とは話が合いそうもない。たぶん、飲みに行ってお互いに現況報告になったら、彼に不快な思いをさせてしまうのかもしれない。

 すべては想像でしかない。本当のところはよくわからない。私の方にはなんのわだかまりもないが、彼の方には何か私の気づかないものがあるのだろうかと思ってみる。それがあるのであれば、何だろうかと知りたいと思う。ただ、上記に想像した仕事に関する価値観の違いであれば話が弾むことはないのかもしれない。そう言えば同じ職場であった頃は、共通の上司のダメさ加減の話題で盛り上がっていたのを思い出す。いつかまた飲みに行ける日がくれば、あの時のダメ上司の話なら盛り上がれるかもしれない。そんな関係にまたなれたらいいなと、今は思うのである・・・


StockSnapによるPixabayからの画像

【本日の読書】

ひこばえ(下) (朝日文庫) - 重松 清 グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない (&books) - ロバート・ウォールディンガー, マーク・シュルツ, 児島 修




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