【原文】
子曰蓋有不知而作之者我無是也多聞擇其善者而從之多見而識之知之次也
【読み下し】
子曰く、蓋し有らん、智ら弗る也、し而之を作す者。我は是無し。多く聞きて、其の善き者を擇び而之に從ふ。多く聞き而之を志すは、智る之次也。
【訳】
先師がいわれた。
「無知で我流の新説を立てる者もあるらしいが、私は絶対にそんなことはしない。私はなるべく多くの人の考えを聞いて取捨選択し、なるべく多く実際を見てそれを心にとめておき、判断の材料にするようにつとめている。むろん、それではまだ真知とはいえないだろう。しかし、それが真知にいたる途なのだ。」
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現在の職場ではいろいろな情報が入ってくる。特に気を付けているのはネガティブ情報である。何か対処しなければならない事があるかもしれないからである。某氏はかなり批判系の意見を述べてくる。ベテランだけあって、その意見はいつももっともであり、なるべく耳を傾けるようにしている。しかし、一方でその批判を聞きながら、「それではそれを相手に伝えて改善すればいいではないか」と思っているが、某氏は言うだけでそこまではしない。要は「評論家」なのである。そうすると問題を放置するわけにもいかず、聞いた以上は、と私が動く事になる。
ところが実際にヒアリングしてみると、そこには違う事情が表れる。傍からは見えていない事情があって、その事情を勘案すると、批判されていた行動にはきちんとした理由が見えてくる。「その状況下であれば」、その行動ももっともであるという事がわかってくるのである。相手の行動を批判する時は、単に自分から見えている面だけで判断するのではなく、「自分から見えていない面」もあるかもしれないと考えないといけない。評論家某氏の意見はいつもそんな批判が多い。
以前にも述べた思考実験であるが、AがBを刃物で刺すという事件が起こったとする。当然、Aは傷害罪で逮捕され罰せられる。しかし、実はそもそも刃物を持って襲い掛かったのがBで、Aはその刃物を奪ってもみ合ううちにBを刺してしまったとなると、正当防衛で無罪という事もありうる。事情がわかると印象はがらりと変わる。さらになぜBは刃物を持ってAに襲い掛かったのかと調べたら、実はAは詐欺師でありBはその被害に遭って全財産を失い一家離散となって絶望のあまり犯行に及んだ、となるとまた印象は変わる。
物事は一面だけを見て判断するわけにはいかない。自分から見えている面だけで判断すると間違える可能性がある。間違えないためには、見えていない部分を見る努力が必要である。私も某氏の意見を聞くと、まずは本人に事情を聞く。「なぜそういう行動を取ったのか」、「どういう状況で」、「なぜそれが最適と判断したのか」、その上で自分としてその行動をどう考えるか。両面から見ればだいたい適切な判断ができる。逆に言えば、一方の意見だけでは動かない。
当たり前であるが、両面から見る意識は大事である。その応用もある。自分とは違う意見の人と議論する場合である。自分の意見を否定されれば心中穏やかではないが、相手の意見を一旦冷静に受け止めて相手の視点から見てみる必要がある。もしかしたらもっともかもしれないし、自分には見えていない問題点があるかもしれない。相手の立場に立って相手の意見を考えてみる事が反論する場合には役に立つ。相手がなぜ自分と意見が違うのか、原因がわかれば対処もわかる。
会社で人と議論する時には特に意識している。まずは相手の意見を聞く。その上で相手の考えをあれこれと考えてみる。そうするとそこに問題点が浮かび上がってくるかもしれない。その上で自分の意見と照らし合わせ、判断する。自分の意見の方が正しいと思えば、その理由と相手の意見の問題点を説明すれば、自分の意見が通る。相手に質問をし、問題点を考えさせ、必然的に自分の意見に導くソクラテスの産婆術が使えれば尚良いかもしれない。
某氏は自信満々で批判を繰り返す。確かに某氏の「視点」ではそれは正しい意見なのかもしれない。しかし、物事には必ず裏表がある。ウクライナとロシアの戦争もウクライナから見れば正しい行動であり、ロシアから見ればそれもまた正しい行動である。イスラエルとパレスチナについても然り。しかし、「相手の視点」を意識することができれば自分の意見とは異なる別の解決策に辿りつけるかもしれない。相手だけではなく、広く他の意見を聞けばさらに正しい道へと辿りつけるのではないかと思う。
自分も己の意見に固執する前に、広く他人の意見を聞くスタンスを持っていたいと思うのである・・・
Deniz AvsarによるPixabayからの画像 |
【本日の読書】
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