2023年12月17日日曜日

仕事をするということは

 転職して2年。当初は不安だったが、今では役員にもなり、会社を中核で動かしているという満足感に浸っていられる。それなりになんでも楽しんでやる性格ゆえに仕事を楽しんでいるのは事実であるが、いろいろと悩ましい事は多い。土日とて完全にオフというわけではなく、気持ち的にはすぐに仕事モードに入れるようになっている。パソコンで言えば、「スリープ」である。「役員にオフはない。オンかスリープだけである」と日頃公言しているが、そういうプレッシャーはある。完全にオフにできたら良いなと思うが、そういう立場が良いかどうかは考え所である。

 私は総務部長として迎えられたが、当時そこは「空席」になっていた。前任者は社内にいたが、名目上の肩書き(「◯◯室長」)は与えられていたが、実体は事務仕事の一担当であった。その人の働き方は、典型的な「指示待ち族」である。言われればやるが、言われなければやらない。自分から何か進んでやるという事は決してない。聞けば今に始まったことではなく、ずっとそうだったらしい。それで社長が頭に来て総務部長から外したということのようであった。「空席」という一種異常な状況もそういう事情があったわけである。

 確かに、言われたことだけやっていれば気楽である。余計なことをしなければ怒られることもない。その変わり「当然やるべきだろう」と思われていることもやらなかったりするから怒られることもしばしば。そして「なぜやらないのか」と問われ、「指示されてませんでした」と答えるから余計に怒られる。「指示されなければやらないのか」という怒りを買う。部長にまでなってそれでは呆れられるのも当然である(そもそもなぜ部長に任命されたのかという問題はある)。降格により給料は大幅にダウン。さらに定年を迎えて嘱託になり給料はダウンした。

 その後もその方の働き方は変わらず。嘱託は1年契約だから更新時に週5日でなくて良いとされ、さらに給料は下がってしまった。気の毒であるが、本来働きに応じて支払われるのが給料であるから、それも仕方がないことである。一方、私はと言えば、自分の存在感をいかに出すかを心掛けている。自分が入ったことで、総務部は何が変わったのか。それこそが自分の付加価値であり、それが大きければ大きいほど自分の存在価値が高くなっていく。そして入社から給料を4度上げていただいた。

 若かりし頃、当時支えていた支店長に「仕事の報酬は仕事だ」と言われた事がある。その時は「そんな報酬などいらない」と反発していたが、今ではその言葉の意味はよくわかる。仕事は下りのエレベーターに似ている。満足して止まっていたらどんどん立場は下がる。駆け上がるのは大変だが、駆け上がれば次の大事な仕事を任される。それが支店長の言っていた「報酬」なのだろうが、それを「報酬」と捉えられるかどうかはその人の価値観次第であろう。私はいまだに「報酬」とは思わない。ただ、ゲームで言えば「次のステージ」といったところである。

 難しいのはこの下りのエレベーターは、適度に上がるという事ができないところである。下るスピードに合わせて上がれば位置は変わらない。だが、時間と共にエレベーター自体が下がったりする。私の場合、現状維持していれば来年定年を迎えて嘱託になるところであった。駆け上がったからこそ次の役員というステージに上がれて、定年をクリアできたのである。そして今度は役員は任期が来ればそれまで。再任されるためにはエレベーターを駆け上がり続けなければならない。

 そうしたゲームに嫌気がさしたら降りることもできるが、収入もなくなってしまう。せめて住宅ローンの支払いが終わる70歳までは降りるわけにはいかない。それには自分の付加価値を高め続けなければならない。大変ではあるが、生きていく上では仕方がない。下りのエレベーターに乗ってじっとしているのとどちらが良いかと問われれば、答えるまでもない。あとはどれだけストレスなく、ゲーム感覚でこれを楽しむかではないかと思う。いくら責任がなくて気楽でも指示待ち族にはなりたくない。これはプライドの問題である。これからも下りのエレベーターは倍の速さで駆け上がり続ける。

 そういうスタンスで、仕事を続けていきたいと思うのである・・・

Clker-Free-Vector-ImagesによるPixabayからの画像

【本日の読書】

  




0 件のコメント:

コメントを投稿