最近、よく夢を見る。寝ているときに見る夢である。最近、『すばらしい人体 あなたの体をめぐる知的冒険』という本を読んで改めて人体の不思議さを思ったのであるが、夢というのも考えれば不思議なものだと思う。起きている時は、夢を見ることはない。夢想することはしばしばあるが、それは自分の意思で展開していく。しかし、寝ている時に見る夢はまったく展開が読めない。出てくる場面も見覚えのある所もあればない所もある。見覚えのない所はいったいどこからその風景が出てきたのかと不思議に思う。
よく見る夢は、トイレを探す夢である。昔、よく遊びに行った御代田の従妹の家でトイレに入ろうとするが、見当たらない。よく見れば記憶にある御代田の家とはどこか違っている。トイレだと思って入ったが、そこは普通の部屋で、どこかトイレらしくない。なぜかと言えば便器がない。この便器がないというのも共通項で、デパートでトイレに入ったが便器がないというパターンもあったし、どこかの病院でトイレに入ったらやっぱり便器がないという事もあった。やむなくそれらしき所で用を足すのであるが、そのバツの悪さに目が覚めるというパターンが多い。
フロイトによれば、夢の素材は記憶から引き出されていると言う。そしてそれは意識的なものではなく、無意識的なものだそうで、それゆえに見たこともない風景に思えるのかもしれない。一般的には夢とは潜在的な願望を充足させるものであるらしいが、トイレの夢は「トイレに行きたい」という願望であることは間違いない。実際、便器のない所で用を足すところでたいてい目が覚めるのだが、そこで実際にトイレに行くのである(いつか夢と現実の区別がつかなくなる日がくるのかもしれない・・・)。
夢はたいてい、目が覚めた時に「夢を見ていた」と意識する(忘れてしまうこともかなり多いが)。つまり過去形なわけであるが、たまに「これは夢だ」と気づく場合もある。その時よくやるのが、空を飛ぶことである。夢なら空を飛べるだろうと飛んでみるのだが、なぜか背の高さほどのところを平泳ぎするというパターンが多い。はたから見たらかなり笑える「飛行」だと思う。それも潜在的な願望と言われればそうなのかもしれない。どうせならスーパーマンのようにさっとひとっ飛びしたいところだが、夢でもそれは叶わないらしい。
そう言えば子供の頃、初夢に見たいものを枕の下に入れておいたらそれを夢で見られると聞いたことがあった。素直にさっそく試してみようと女性のヌードの絵を描いて枕の下に入れて寝た。下手くそな絵だったから若干の不安があったが、夢でしっかり見られればと願って寝た。すると、翌朝目が覚めてその夢を見られなかったとガッカリするという夢を見た。嘘ではなかったから文句は言えないが、なんだか騙されたような気がしてならなかった。今から思えば可愛いものである。
20代半ばを過ぎてある女性を好きになった。人生で一番惚れた女性である。もちろん、アタックはしたのだが振り向いてもらえず、随分と切ない思いをした。その時耳にしたのが大瀧詠一の『夢でもし逢えたら』。「♬夢でもし逢えたら 素敵なことね あなたに逢えるまで 眠り続けたい🎶」という歌詞に心惹かれた。本当に夢で逢えるなら眠り続けたいと思った。ずいぶんと純情だったと思う。結局、思いは叶わなかったが、今でもたまにその女性の夢を見たりすると朝から幸せな気分になれる。いつか夢の中で思いが通じるだろうか。
一方、夢には悪夢というものがある。幸いにして今まで悪夢なるものを見た事がない。悪夢のような現実ならあるが、ひょっとしたら悪夢という夢などないのかもしれないと思ってみたりする。ただ、これも子供のころ、怖い夢ならよく見た。それは足下の大地が大きく割れた所に立っている夢で、その深淵の淵に立ち、引き込まれそうな恐怖の夢である。特別、高所恐怖症というわけではないが、高い所に立てば誰でも怖いと思うだろう。今はもう見ることもないが、現実の世界の苦難からすれば、どうってことはない。
アラビアのロレンスこと、トーマス・エドワード・ロレンスの言葉に、「両目を開いて夢をみる」というのがある。何かを目指している人には勇気を与える言葉である。夢という言葉には、どうも「現実的ではない」というイメージがある。現実的ではないことを夢想するのではなく、しっかり両目を開いて目指していこうという意味の言葉であり、いいなと思う。しかし、やっぱりかつて憧れた女性に両目を開いて会いに行くのは、妻子持ちとしては問題があり、やっぱり夢の中で逢うのがいいだろうし、そういう事もあると思う。ただ、不安に襲われている時にはこの言葉を思い出すといいかもしれないと思う。
以前、読んだ漫画に見たい夢を見せてくれるというサービスが出てきた。事前にリクエストを受け(スーパーマンになるとか、海賊として活躍するとか)、それに沿った内容の物語を夢で体験させてくれるというものである。そういう技術が実現したら是非利用したいところだと思う。なんでも思い通りになったら、人生は楽しいだろう。今のところ、思い通りの夢を見ることはできないので、予想もできないストーリーを楽しむしかない。残念なのは、目が覚めて忘れてしまうこと。せっかく見たのに忘れてしまうのは何かもったいない気がする。せめて、見た夢くらい覚えていたいものである。
夢を見る人体の仕組みはわからないが、そういう不思議な能力は悪くない。今度夢の中で、これは夢だと気づいたら、空中を泳ぐほかに何かもっとないか、なかなか現実ではできないことを試してみようかと思うのである・・・
Stefan KellerによるPixabayからの画像 |
【本日の読書】
0 件のコメント:
コメントを投稿