2023年6月25日日曜日

死刑制度について思う

 平野啓一郎の『死刑について』を読んだ。読む前から死刑制度に反対する内容だろうなと思っていたが、予想通りのものであった。死刑制度は、今や先進国では我が国とアメリカを除いて「廃止」というのが潮流で、死刑制度廃止を求める弁護士などの意見も耳にしている。死刑判決が予想される重大事件では、この手の弁護士が手弁当で駆けつけて死刑判決回避に血眼になるのもニュースで見聞きしている。しかし、世界の潮流などなんのその、我が国の国民の8割が死刑制度を支持している。そして本来天邪鬼な私自身もその8割の1人である。そういう立場から、死刑制度廃止を訴えるこの本を興味深く読んだ。

 自分とは異なる意見であったとしても、しっかりその意見を聞くというのはいい思考訓練になる。普段の生活で、こういう真面目な議論をする機会はほとんどない。読書を通じての著者との対話は、なかなか楽しいものである。面白かったのは、「3つの死」という考え方。すなわち、「一人称の死(自分の死)」、「二人称の死(家族の死)」、「三人称の死(他人の死)」である。死刑存置派は「一人称の死」あるいは「二人称の死」で話し、廃止派は「三人称の死」で話をするというもの。なるほどと思う。

 死刑制度を支持する人がよく言いがちなのは、「自分の家族が殺されたらどう思うか」というもの。すなわちこれは「二人称の死」である。それに対し、「それでも死刑にしなくても良い」というのは、「三人称の死」で話しているのだと。つまり「他人事だからそんなことが言えるのだろう」ということだろう。これはつまり感情論的なところがあるが、これに対し死刑存置派の人は、感情論ではなく人権思想から語っているようである。すなわち、「人を殺すという事はどんな事情でも許されない」というものである。実に立派である。

 EUでは死刑廃止が加盟条件になっているという。そしてノルウェーでは、78人を殺したテロリストですら死刑にしていない。我が国の感覚からすると理解が難しい。元々我が国には「死んでお詫びする」という文化があると著者は指摘する。確かに、戦前・戦中の日本では人命軽視が甚だしかった。「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓にもそれは表れている。ただそれだけではなく、もともと我々には「平等の文化」もある。「人を殺したらそれに相応しい罰を受けるべき」というものである。「相応しい罰」となると、端的に「死」となるのだろう。

 死刑制度維持に対して気持ちが揺らぐのは、執行官の精神的苦痛を教えられる時である。仕事とは言え、人を殺すのはいい気持ちがしない。だからボタンが3つあって、3人がそれぞれのボタンを押し、誰が押したボタンが「当たり」だったかわからないようにしているらしい。大人しく従えばまだしも、抵抗でもされたら、無理やり力づくで殺すのは嫌なものだろう。それだけは本当に同情してしまう。だが、だから廃止しましょうとまでは思わない。

 本に書かれていなかった事では、「死刑は仇討ち禁止の意味がある」というところ。個人的にはこれがかなりウエイトが重いと思う。大事な家族が殺されたら、殺した相手を殺したいと思うが、それを認めていたら社会は大変な事になる。だから国家が代わってそれを行うというもの。有名な光市母子殺害事件では、一審の無期懲役判決を受けて被害者の夫が「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」と発言した。この気持ちはよくわかる。こういう「仇討ち思考」を防ぐためにも死刑制度は必要だと思う。

 もう一つ本には書かれていないこととして、死刑制度廃止の条件として「終身刑」の採用を挙げる意見もある。個人的に百歩譲ってこれは受け入れられる。私は以前勘違いしていたが、現行法では「終身刑」はない。「無期懲役」は実は「終身刑」ではなく、「仮出所」が認められている有期刑である。殺すのが残酷なら、せめて死ぬまで閉じ込めておいてほしいと思うが、実は「人権派」の人たちは、これすら「非人道的」と批判している。「終身刑は残酷刑の一種」なのだというから、何をか言わんである。

 先日、ふと目にした報道番組では、無期懲役の受刑者の収容期間が30年以上にも渡るものが増えているとやっていた。なかなか仮出所が認められないそうである。当たり前じゃないかと思うが、番組の趣旨はそうではなく、受刑者視線で長い収容期間に批判的であった。無期懲役になるような罪を犯して、いくら模範囚だからと言ってそんなに簡単に仮釈放されたらたまらないだろうと思う。最高刑が下がれば、それに連鎖して次々に刑が軽くなっていくように感じるのは、私だけであろうか。

 執行官の精神的苦痛を取り除く方法としては、絞首刑に代わるものを考案するということはあってもいいと思う。具体的にどういう方法がいいかはわからないが、静かに眠らせるというものであれば問題も少ないように思う。著者の意見はいろいろあって、なるほどと思わせてくれたが、では死刑廃止へと心が動いたかというとさにあらず。人権も大事だと思うが、それは真面目に社会の秩序を保っている人に関して重視されるべきであり、ルールを破った者に対しては、制限されるのも止むを得ない。

 平野啓一郎は、我が国の人権教育の遅れを指摘する。それは万人に当てはまるもので、どんなに生育環境が悪かろうが、自分の勝手な思惑で人の命を奪うことは許されないという内容でないといけない。「たとえ人殺しでも殺してはいけない」という人権教育ではなく、その前に「どんな理由があっても人を殺してはいけない」という教育である。「そしてそれを破った場合には、自分の人権も尊重されなくなる」という教育である。もしも自分の身内の命が理不尽な形で奪われたとしたら、きちんと国の方で死をもって償わせてほしいと思う。決して自分の意見に頑固に固執するつもりはないが、著者の意見に心動かされる事はなかった。

 今後もこの問題には関心を持っていたいと改めて思うが、まだまだ我が国は「死刑のある国」でいいと思うのである・・・

kalhhによるPixabayからの画像

【本日の読書】

  




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