2023年6月18日日曜日

マクナマラの誤謬

 NHKの『映像の世紀』は私が唯一しっかり観ているNHK番組であるが、先日放映された「ベトナム戦争 マクナマラの誤謬」はなかなか深く考えさせるものであった。アメリカの元国務長官ロバート・マクナマラは有名であるが、天才と称された人物だったらしい。第二次世界大戦では、B29の高高度からの戦略爆撃を立案し、戦後はフォードで大衆車の販売を提案して大成功させ社長に就任する。そしてケネディ大統領の目に留まり国務長官に抜擢される。

 そんなプロフィールとともに、テレビインタビューでベトナム戦争の苦戦を問われ、「間違いを認めないのか」と突っ込む記者に、平然と「間違いではない」と強弁する様は厚顔不敵という感じがする。「マクナマラの誤謬」とは、数字にばかりこだわり本来の目的を見失うことを言うそうである。ある病院では術後の死亡率を下げることを重視したら、医者が重篤な手術を避けるようになったとか、検挙率を重視するようにしたら、警官が軽犯罪ばかり数を競って検挙し、重犯罪の検挙が疎かになったりしたらしい。なかなかありがちな事である。

 国務長官としてベトナム戦争を主導したマクナマラは、「キルレシオ」という数字を重視する。これは米兵の死者に対するベトナム兵の死者の割合で、この比率を1:10で維持すれば勝てるとしたものである。ところが現実はこの割合をはるかに上回っても戦況は改善せず、結果的にアメリカはこの戦争に敗退する。そこには、まさに数字ばかりにこだわり本来の目的を見失ってしまったかのように思える(最終的なキルレシオは1:50だったようである)。しかし、番組が進んでいくと違う姿が見えてくる。

 そもそもマクナマラは、トンキン湾事件の後、米兵を増派したものの大きな改善が見られないことを現地視察の結果気づき、ケネディ大統領に撤退を進言していたと言う。ケネディ大統領もこれを受けて撤退を勧めるが、ダラスの悲劇が起こる。跡を継いだジョンソン大統領はベトナム戦争へのさらなる介入を指示する。マクナマラは国務長官としてこれに従い、先のキルレシオを掲げてベトナム戦争を主導する。自分の「撤退すべし」という考えを封印して上司の指示に従ったのである(そしてそれをうまくやろうとした)。しかし、事態は思うように進まない。

 次の転機はテト攻勢後の1966年。やはり現地視察したマクナマラは、その結果に愕然とする。兵力を増派してもまったく戦況が好転していなかったのである。帰りの機内で側近の者(後にペンタゴンペーパーズを暴露した人物)に「やはり撤退すべき」という意見を述べる。しかし、タラップを降りると記者団に「戦況は有利に進んでいる」と反対の事を語る。そこには自らの信念を押し殺して大統領に仕える国務長官としての立場を維持する姿がある。この流れで冒頭のテレビインタビューを見ると180度異なる姿に見えてくる。

 サラリーマン社会で生きる者はこういう事はよくあると思う。私も銀行員時代はこういう事ばかりだったように思う。自らの考えとは異なる上司の指示に従わなければならないというのは、サラリーマンのストレスの上位を占めることだと思う。番組を見る限り、マクナマラという人物は、数字ばかりを見て目的を見失った愚か者などではなく、冷静に現場の実態もきちんと把握できる優れた人物だったようである。「マクナマラの誤謬」などに名前が残るのは、まったく間違っているのである。

 本人の本当の姿をきちんと伝えられなかったのは、マスコミのせいとばかりはできない。マスコミも万能ではない。歴史に「if」はないが、もしもケネディ大統領が暗殺されなければ、アメリカはベトナムから早期に撤退し、不名誉な敗戦の汚名を着ることもなかっただろう。そして「マクナマラの誤謬」などという言葉も生まれていなかっただろう。会社経営においても、事業計画を推進していく上で、どうしても「指標」を掲げることがある。その時その指標が本当に目標(ベトナム戦争で言えば勝利)に結びつくのかを意識し、そして随時現場の状況確認も怠らないようにしないといけないと改めて思う。

 我が社も現在、中期経営計画を掲げて全社を挙げて頑張っている。重要指標ももちろんある。今のところは間違ってはいないと思うが、数字ばかりを見て本来の目的を見失う事がないようにしないといけないのは当然である。マクナマラのように現場確認を怠らず、本来の目的へ向かっていかないといけない。そういう意味で「マクナマラの誤謬」という言葉を頭の片隅に置いて経営をリードしていきたいと思うのである・・・

Sergei Tokmakov, Esq. https://Terms.LawによるPixabayからの画像


【本日の読書】

  




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