6月は誕生月であり、私も59歳となった。体は老いても頭の中は老いない。来年還暦と言われてもピンとこない。銀行に入った頃、当時の支店長は随分年上に思っていた(実際20も離れていればその通りである)。しかし今考えてみると、当時の支店長は皆40代。今からすると「若いな」と思ってしまう。逆に当時定年間際の用務員さんなどは「おじいさん」だと思っていたが、今自分がその年になってみるとそんな気はまるでない。頭の中の自分は、若い頃とは(考え方などは大きく変わったが)そんなに違わないのである。
しかしながら、そんな頭の中と現実とのギャップは常に意識している。以前は、職場の同僚女性とは同じ目線で気楽に楽しく接していた。今も同じ感覚は残っているが、一番若い女性部下はお父さんが私と同じ年齢だと言う。こちらが同じ目線であっても、向こうの目線は「お父さん」である。その意識のギャップは常に頭の中に入れておかないと勘違いおじさんになってしまう。女性に限らず男であっても同様。昔は支店長と話す時は常に緊張があった。その感覚を忘れずに、緊張緩和をこちらから意識しないといけない。
私が社会人デビューした36年前は、仕事が第一の時代。休みの日ですら支店行事に「仕事だ」と言われて駆り出された。嫌で嫌でたまらなく、自分がいつか上に立ったら、こんなくだらない習慣は終わらせてやると心に誓ったものである。銀行は離れてしまったが、今の職場では「お互い様とお陰様」を合言葉に、「仕事は大事だが、第一ではない。家庭で何かあれば遠慮なく職場を離れましょう、それをみんなでカバーしよう」と部下には伝えている。休みの日の「仕事」などもちろんない。歌の文句ではないが、「あの頃の未来に僕は立っている」とあの頃の自分に伝えたいと思う。
自分はまだまだ若いつもりであっても世間的にはそうではない。肉体もそれなりに衰えている。幸い、風邪などというものにはとんと縁がない。最後に熱を出して寝込んだのは、記憶の限りでは30年くらい前のように思う。たとえ引いても気合いで治す自信はある。しかし、いつまでもそんな調子でいると手痛いしっぺ返しを食うかも知れない。そこは「肉体は衰えている」ということをしっかり念頭に置いて過信しないようにしたいと思う。今年も誕生日に健康診断を受けてきた。
昨年は友人が2人亡くなった。1人は一緒にラグビーの試合をして、試合後に「今日は良かったね」と褒めてくれたのに、家に帰る途中で倒れて帰らぬ人となった。人間何があるかつくづくわからない。つい先日は高校時代のラグビーの後輩が癌でこの世を去った。最後にラグビーのジャージを棺に入れて欲しいと同期の友人に頼んでいた。高校を卒業してからラグビーをやっていたのかどうかわからないが、自分のアイデンティティとしてラガーマンを選んだのだろう。果たして、自分はどうするだろうかなどと考えてしまった。彼の美しいラグビーの思い出の中に、私はいい先輩として映っていただろうか。
そんな事を考えると、やはり怖いのは突然その時が来る事。自分の事は仕方がないとしても、残された家族が困る事態だけは避けたいと思う。そこで自分も万が一に備えて生命保険は一冊のファイルにまとめ、テプラで表示しておいた。そこを見れば銀行口座も証券会社の口座もわかるようになっている。残された家族が最低限困らないようには考えている。困るのは現在も係争中の裁判だ。弁護士に依頼せずにやっているから自分に万が一の事があれば困ったことになる。一応、「バックアップ」はとっているつもりであるが、1日も早くカタをつけたいと思う。
万が一の準備も大事だか、いかに生きるかもまた大事。最近は、出勤前に好きな哲学の勉強をしている。一日数ページしか進まないが、なかなか楽しい。また、帰宅後は娘にもらった高校の教科書で数学と物理と国語と古典を勉強している。これもまた楽しい。国語の教科書の設問(「棒線部分の○○とはどういう事か説明しなさい」的なもの)など、今ではスラスラと答えられる。日頃の読書で読解力が磨かれているのかも知れない。高校生の息子と一緒に期末テストを受けたら結構いい点数をまだまだ取れそうな気がする。こういう「趣味」は今後も楽しんでいきたいものである。
いつがそうだったのかはわからないが、確実に人生の折り返し地点は過ぎている。天寿をまっとうしたとしても、それまでの時間はこれまでの時間よりも短い。今までやりたかった事は、出来る限りやっていこうと思う。昨年、髭をはやし始めたのもその一つ。つまらない事かも知れないが、女にはできない事であるし、長年あたためてきた事を実現できたのは純粋に嬉しい。ラグビーの試合ではまだまだタックルができる。自分では今一の出来だと思っているが、意外とチームメイトの評価が高い。ラグビーは体を張ったプレーが評価される。いつまでできるかわからないが、これもやり(続け)たい事の一つである。
これから還暦に向かってまた一年。どんな一年になるのかはわからないが、「良き夫、良き父親、良き息子、良き友人、良き同僚」と思われるように、日々精進を続けて人間力を高めていきたいと思うのである・・・
StockSnapによるPixabayからの画像 |
【本日の読書】
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