最近、Netflixでよくドラマを観ている。今観ているものの一つに「アリサ ヒューマノイド」がある。ロシア発という珍しいSFドラマである。タイトルにあるアリサとは人間型のロボット。最新式で人間の感情もわかると言われている。そのアリサがテストでキッチンに入る。客のオーダーを聞いて料理を出すのだが、ある太った女性客が生クリームを要求したところ、アリサは「健康に良くない」とこれを拒絶する。怒った客とその場で論争となる。本筋とは関係ないが、面白いシーンだなと観ていて思った。
アリサは客の体型から必要なカロリーを瞬時に計算し、生クリームは控えるべしとの結論を出してそれを客に伝えている。しかし、客は健康よりも食欲を優先しており、生クリームを食べたいと主張する。ロボットは人間の命令を聞き、人間のために働く。されどこの場合、何が「人間のため」なのか。アリサはそれを健康に置いたが、客は食欲に置いている。どちらを優先するべきか。「良薬は口に苦し」と言うが、「美味しいもの」と「体に良いもの」はしばし相対立する。
これが人間であれば、オーダー通りのものを出すだろう。相手の健康のことを考えても売上にはつながらない。高カロリーの食事をとって太ろうが病気にかかろうがそんなのは個人責任であり他人には関係ない。客もそれを望んでいるわけだし、言われた通りに出せばお互いWin-Winである。例え大盛りでも笑顔で生クリームを出すだろう。だが、家族であれば制止するだろう。家族は当然相手のことを考える。文句を言われようと、それが家族のためであれば苦言も呈するだろう。アリサはロボットながら家族の対応をしているのである。
先日、会社である若手が遅刻してきた。と言ってもほんの数分である。ただ、初めてではない。こここのところよく数分の遅刻をすることがある。さて、どうするか。直属の上司はそれに対して何も言わない。席がちょっと離れていることもあり、たぶん気がついていない。私にしてみれば直属の部下というわけでもないが、そのまま何もしないでいいのだろうかと迷った。注意すれば相手は嫌な思いをするだろう。こちらにしても然り。ひょっとしたら嫌な存在だと思われるかもしれない。何も言わなければこれまで通りの良好な関係が維持できる。
形は違えど、アリサのパターンと一緒である。迷った末、注意することにした(別にアリサの影響を受けたわけではない)。直属の上司に伝えて注意してもらうという方法も脳裏に浮かんだが、その若手とは知らない仲ではないし、それどころか席も近くて普段からよく話をしている。また何より私は役員でもあるから広い意味では彼も部下である。やはり自分で直接注意することにした。数分とは言え、遅刻は遅刻。1分遅れても日本の新幹線は出発してしまう。それに1分を放置すると、それが2分になり、3分となるかもしれない。
「褒める時はみんなの前、怒る時はこっそりと」という原則に従い、彼をそっと脇に呼んで注意をした。彼はこの春主任に昇格している。「わずか数分の遅刻でも遅刻は遅刻、主任という立場は後輩がその行動を見ている。彼らに遅刻してもいいんだというメッセージになってしまう。そういう意味で、きちんと時間通りに来てほしい」と。私はもともと人に怒ったりするのが苦手な性分であり、できれば怒らずに済ませたい。注意も然り。されど自分の快楽よりも教育的指導を優先させることにしたのである。
間違ったことを言っているわけではないが、モノには言い方がある(妻が大の苦手としていることである)。同じ内容でもモノの言い方一つで相手に伝わるものが違う。言い方一つですんなり受け入れてもらえるし、言い方一つで反発を買う(と妻には言いたい!)。穏やかに教え諭すように伝えたところ、彼も素直に頭を下げてくれた。次の日、彼は10分早く出社した(本音を言えば30分前に来いと言いたいところである)。もともと10分早く起きて行動すればいいだけの事。遅刻するのは意識の問題である。
良薬は口に苦く、耳にも痛いものかもしれない。しかし、本人のためであるならばきちんと注意しないといけないと改めて思う。組織には規律が必要。それが息苦しいものであれば問題かもしれないが、時間を守るという規律は必要であろう。例えそれが数分だとしても。そして注意するということで自分が不快な気分になろうとも、相手のためになると信じるのであるならその不快を引き受けなければならない、と思う。くれぐれも相手に伝わる「言い方」は意識しないといけないが・・・
これからどんどん進化していくAIが、アリサのように純粋に相手のためを思う行為ができるようになっていくのだろうか。たぶんそうなっていくのかもしれないが、その前にいい歳した大人として相手のためを思って嫌な役割を引き受けることもしていかないといけないと、改めて思う。そしてもし、逆に相手がそういう苦言を自分に対して言ってきたなら、「生クリームを食べたいのだ」と怒った客のようではなく、その真意を汲み取って素直に聞けるようでありたいとも思う。例え相手が年下の若者であったとしても。
何より苦言は言われた相手にもよる。「お前に言われたくないよ」と思われたら効果はない。そういうところにおいても、己の行動も普段から意識していきたいと思うのである・・・
Sandeep HandaによるPixabayからの画像 |
【本日の読書】
0 件のコメント:
コメントを投稿