2023年2月9日木曜日

理想的な会議

 「やってみなはれ」とは、サントリーの創業者鳥井信治郎の言葉として有名である。何でもうまくいくかどうかはやってみないとわからない。だからやってみたらいいというのはその通りであるが、そう簡単に思う人と思わない人がいる。私は簡単に思う方である。あれこれと議論するより、やってみた方が早いとすぐに考えてしまう。うまくいけば良し、いかなければ反省して次に繋げれば良い。実に簡単な理屈である。ところが世の中にはそうは思わない人がいて、時折意見が合わずに精神的疲労感に苛まれることがある。

 私は現在の会社では取締役であり、会社の行末をいろいろと考えないといけない立場である。足元の事業が安泰であれば問題はないが、残念なことにそうではない。緩やかな下のエレベーターに乗っているかの如くであり、それを駆け上っていかなければ未来はない。当然、昨日と同じことをしていては明日はない。そういう危機感があれば、新しいことにチャレンジしていこうという発想は自然と出てくるだろうと思う。だが、そうは思わない人がやはりいる。

 新しいことをやろうとすれば、そこには当然リスクがある。思い通りに行けばいいが、必ずしもそうはいかない、あるいは予想外の事態が起こるリスクである。それを一々あげつらって、「だからやるべきではない」と言われてしまうと、そこから先には進めなくなってしまう。ならどうするのか。昨日と同じことをやり続けるのか。それだと緩やかな衰退に身を任せることになるのではないのか。そう思うのであるが、反対する人からはそれに対する回答はない。

 世の中には、「問題の中に解決策を見出す人」と「解決策の中に問題を見出す人」がいると言われる。確かに言い得て妙だと思う。問題があって、それを解決するために解決策を考える人がいる一方、その解決策の中にはこんな問題があると指摘する人がいる。指摘するのはいいが、「ではどうするのか」だ。問題をそのまま放置するのか。反対するのであれば代替案を出すべきであるが、そういう人は大概反対だけして代替案は出さない。それだと解決されない問題が残るだけである。

 そう言えば、何か物事に反対する場合、私は代替案を出すべきだと考える方である。世の中には「代替案を出さなければ反対もできないのか」という意見を言う人がいるが、私はその通りだと思う。そもそも解決しないといけない問題があって、その解決策を提示した人に対し、反対するなら「それならどうするべきか」を提示するのは当然だろう。それをせずに反対するだけなら極めて無責任である。反対だけして無責任に放置するから、解決されない問題が放置されてしまう。その危うさを「代替案を出さないといけないのか」とのたまう人は考えていない。

 特に会社の会議などでこの手の人がいると、議論は停滞して何も進まなくなる。よく言われる「決められない会議」である。すると会社全体が旧態依然のまま、ゆるま湯のゆでガエルになってしまう。代替案がないなら反対するべきではない。黙っていた方がまだマシだと言える。「反対だけ」の人は実に厄介である。「代替案がなければ反対できないのか」と言う人は、そもそも何も考えていない人だと言える。そういう人と建設的な議論をするのは難しいというより不可能だと言える。

 とは言え、何でもやってみればいいというものでもないのは事実である。当然、そこにはリスク管理が必要になる。うまくいけばいいが、うまくいかなければどうするのか。そこは考えないと単なる「無謀」になってしまう。「何もしなければ会社が潰れる」という状況なら、一か八かという割り切りもあるかもしれないが、そうでないなら考えうるリスクに対する備えは必要だろう。「ダメならどうするか」、というリスクを考えた上でチャレンジするというのが正しいスタンスだと思う。

 会議で議論が収束しないのは、一番大きな原因は見ている景色が違うからとも言える。会社全体を見ている人と、自分の部署だけを見ている人とでは自ずと意見も違ってくる。立場が異なれば意見も異なるのである。まずは同じ土俵に乗って、同じ景色を見た上で、反対意見があれば代替案を出して議論する。それでこそ健全な議論になると思う。そして最後は「やってみなはれ」。それが理想的な会議だと思うのである・・・


FrantichekによるPixabayからの画像 

【本日の読書】

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