2023年2月26日日曜日

どこのポジションでもやる

 先日、所属しているシニアラグビーのチームで新キャプテンからアンケートを頼まれた。新チームの運営の参考にするのだと言う。いくつかある質問の中で、これぞ自分の信念の特徴だと思えるものがあった。それは「試合で出場可能なポジション」という質問であった。私の回答は、「やれと言われればどこでも」というものである。ラグビーの場合15のポジションがあるが、私は割と器用な方で、これまで13のポジションは経験がある。そういう経験があるからということもあるが、だからというわけではない。未経験のポジションは私には難しいが、それでもやれと言われればやる。

 そもそも誰でもそうであると思うが、やりたいポジションというのは誰でもあると思う。不得意なポジションをやっても面白くはないかもしれない。どうせやるならやって面白いポジションでやりたいだろう。だが、人数が足りない場合、誰かが空いているポジションをやらなければならない。キャプテンがメンバーを決める際、誰かにそのポジションを頼まないといけない。その時、快諾してくれればキャプテンの負担も減るというもの。嫌だと言われればやってくれる人を探さないといけない。

 ラグビーのようなスポーツはメンバーが揃わないと試合ができない。きちんとメンバーが揃って活動しているチームなら問題はないが、そうでないチームでは誰かがやらないといけない。そんな時、「自分にはできない」、「自分はやりたくない」と断るのではなく、たとえ不得意なポジションであっても自分はやる人間でありたいと考えている。もちろん、やり慣れないポジションであればうまくできないのは当然であるが、そこは勘弁してもらうしかない。自分がやることで試合が成立するわけであるからそれがチームに対する貢献である。

 それは割と他のことでも当てはまる。仕事でも「これが自分の領域」と決めることはあまりなく、必要があれば「領域外」でもやることを厭わないようにしている。もちろん、技術が必要でやる気だけではできないものもあるからそういうのは別であるが、そうでなければやることは厭わない。それで会社として何かが進むのであればそれが自分の存在価値になると考えている。今の会社では総務担当であるが、必要があれば営業だってやるだろう。そういう「穴を埋められるプレーヤー」たらんと思うのである。

 学生時代、三年時に私は先輩人とポジション争いをしていた。右と左のフランカーという2つのポジションを3人が競う構図である。熾烈な争いだったので(何せ先輩2人は最後の年である)、キャプテンとしてもなかなか決めにくかったのだと思う。そこでキャプテンが出した結論は、私の別のポジションへのコンバートであった。隣のロックのポジションがどうにも弱く、そこで私を代わりに、となったのである。もちろん、私としてはポジション争いを制する自信もあったし、フランカーのポジションにこだわりたかったのであるが、そこは折れることにした。

 学生時代はとことん勝ちにこだわる試合をしていたし、そのためには自分も一番得意なポジションで出たいという思いが強かった。しかし、他の先輩2人と比べ、私が唯一上回っていたのが、器用なところであった。他の2人の先輩にはロックは無理だとキャプテンに言われてしまった。それもあるが、そもそも私にはチームのためであれば我を通すというところはない。ましてやキャプテンが私にいう前にいろいろと考えたであろうことはわかったし、それゆえに私には断るという選択肢はなかった。その年、天下の早稲田大学と公式戦を戦ったが、唯一残念だったのはフランカーで出られなかったということである。

 不動産業だった前職では、新たに室内清掃事業を内製化しようということになった。私にルームクリーニングの経験はない。しかしながら、人数も少ないため言い出しっぺの私もやらざるを得なかったのでやること自体に抵抗はなかった。そして記念すべき第一号案件は、見事に汚れ切った部屋だった。10年くらい掃除していないのではないかというほどであった。特にひどかったのがユニットバスに付属しているトイレ。自分で内製化を提案した手前もあるが、他の人にトイレを掃除しろというのが憚られ、自らやることにした。

 結局、それ以降もバス・トイレは私の担当になったが、おかげでバス・トイレの掃除は上手くなったと思う。人によっては掃除なんかと思うかもしれない。ましてやトイレ掃除となるとよけい抵抗感があるかもしれない。中にはひどく汚れたトイレもあるわけであるから尚更である。その経験を通じて改めて実感した事は、私は割となんでもできるという事である。よく、「こんな仕事をやるために入社したわけではない」と言ったりする人の話を聞く事があるが、自分がやれる事をやるというのも大事であると思う。

 人によってそれぞれであると思うが、「やりたい仕事をやる」というのも大事であるが、「必要とされる事をやる」というのも大事であると思う。何よりそういう「必要とする仕事をやってくれる人」は組織にとって大事にされるし、それがその組織における自分の存在価値になるだろう。もちろん、便利屋になってしまうこともあるかもしれないが、私はそれでも「必要とされる事」に喜びを感じるタイプである。便利屋で大いにいいじゃないかと思う。

 これからも「どこのポジションでもやる」というスタンスは維持していきたいと思うのである・・・

Simona RobováによるPixabayからの画像 

【今週の読書】

 




0 件のコメント:

コメントを投稿