今読んでいる『62歳の社長が23歳の新人社員と本気で対話したら、会社がスゴイことになった。』という本に、円盤型問題というのが出題されていた。これは人材教育を専門とする著者の会社で開発したものだが、「解答のない問題」の一種でありとても興味深い。その問題の一つに「あなたの人生を発明してください」というのがあって興味を惹かれた。著者の会社の入社試験に必ず出題されているものだそうである。正解はもちろんない。その人それぞれの考え方が表れてくるものである。自分だったらどう回答するだろうかとしばし考えてみた。
「発明」という言葉の解釈は難しいが、自分の生き方のイメージそのものだと考えることにする。するとどうだろうか。考えてみるに、それは「迷路を乗り越えていく」ということになると思う。人生は自分にとっては迷路そのもの。どこに辿り着くのか、目的地はどこにあって、そこに到達するとどうなるのか、どうやってそこに行くのか、何となく漠然としていてよくわからない。そして目の前の通路は、どっちにいけば良いのかわからない。正解だと思った道はすぐ行き止まりになることも珍しくない。
何となくの方向感を頼りにここは右だろうと当たりをつけて行くが、また行き止まりだったりする。そこでやっぱり「あそこは左だったか」と思う。できることなら戻ってやり直したいと頻繁に思う。そこで役に立つのは外にいる人のアドバイス。的確なアドバイスがもらえればスムーズに進めるが、頼り過ぎてもいけない。外の人とは言えすべてが見通せているわけではないし、何より自分で迷路を抜ける達成感は得られない。
かつて『ブラックジャックによろしく』という漫画に出ていた言葉であるが、「君が当たっている大きな壁は重いけど扉なのかもしれないよ」というのがあって、気に入ってメモして残してある。実に気力が湧いてくる言葉であるが、迷路をすすんで行き止まりに突きあたったら、頑張って押してみるという解決策もあると思う。何も通路の通り黙って従う必要はない。それがどうしても行きたい方向であるならば、押してみるのも一つの手である。もちろん引いてみるのもいいし、最悪の場合、登って越えるという手もある。
人生という迷路にルールはない。定められた通路の通りに歩かなければならないというルールはない。もちろん、法律や人の道といったルールはあるが、それは迷路の外の話。そこから出なければ、自分の思うがまま、熱意と創意工夫で乗り切って行くしかない。「そんなのずるい」と言われるかもしれないが、そもそも自分が行きたい方向に行くにはどうしたら良いかと考えて、「真面目に通路を歩く」という方法に盲目的に従うだけではなく、いろいろな方法を考える必要があるのである。現実の人生はまさにその通りだと思う。
それにしても、自分の人生は本当に迷路だなと思う。常に迷いと不安があり、この先どうなるかなどわからずにうろうろしてきた感がある。その時々で自信を持って選択したのに、後悔することしばしばだし、逆に自信がなかったのに好結果になったり。選択肢があるよりもない方がかえって迷いがなくていいようにも思う。壁を乗り越えると言っても、これまで強引に乗り越えて意志を貫いたのは受験くらいかもしれない。他の選択肢が嫌だったから死に物狂いだったのが良かったのかもしれない。そう考えると、もっと壁を乗り越えても良かったのかもしれない。
最近、トイレを探す夢をよく見る。パターンはだいたい決まっていて、夢の中でトイレを探すのだがなかなか見つからない。ようやく見つけて中に入ったとしても便器がなかったりする。ないなら他に代わるところと思うも、そういうところが見つからない。人目があるところではしたない真似もできない。焦るうちに目が覚めてトイレに行くというものである。現実だったら恐ろしいが、夢だからまだいい。しかし、似たようなことは現実の世界でよくあるように思う(トイレならたいていすぐ見つかるが・・・)。
これからも迷路は否応なく続く。それは仕方ないが、考えずに本能で判断するのは避けたいと思う。そして、時には強引に壁を乗り越えるのもいいと思う。まだ老け込むのは早いし、力が残っているうちに、と思う。それで後悔するならそれもまた迷路の人生だと思うのである・・・
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