2022年7月28日木曜日

論語雑感 雍也第六(その21)

 論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】子曰、「中人以上、可以語上也。中人以下、不可以語上也。」
【読み下し】
いはく、なかびとうへには、うへかたかな
なかびとしたには、うへかたからかな

【訳】

先師がいわれた。

「中以上の学徒には高遠精深な哲理を説いてもいいが、中以下の学徒にはそれを説くべきではない。」

『論語』全文・現代語訳

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 なかなか解釈は難しいが、要は人を教えるには相手の能力に応じなければならないという意味なのだろう。それは確かにその通りであると思う。簡単に言えば、小学生に中学生で習う数学を教えても難しいし、中学生に高校数学を教えても難しいだろう(例外的な天才は除いてであるが)。我が社では、現在、新人研修を終えた新入社員が現場への配属を控えている。そんな彼らに経営上の課題を説いても理解が難しいだろう。まずは自分の目の前のことで一杯であろうし、理解できる経験もキャリアもないからである。


 相手に応じて教えるというのも確かにその通りであるが、それも結局は「順序」であるように思う。小学生はやがて中学生になるので、その時中学の数学を教えれば理解できる。中学生も高校生になれば高校数学も理解できる。新入社員もキャリアを積めばいずれ経営について理解できるようになる。教える「時期」のミスマッチであって、必ずしも能力というわけでもなく、むしろ適切な時期であれば誰でも大概のことは理解できる(教えるに相応しくなる)ように思う。


 我が社の取締役の中には、どうにもその地位にふさわしいとは思えない人がいる。事あるごとに意見は合わないし、意見が合わない事それ自体はおかしな事ではないが、そもそも取締役としてその考え方はいかがなものかと首を傾げるような意見が出てきたりする。それはどうなのだと考えてしまう。下手にこちらの意見を通そうとすると無理に反論してきて収拾がつかなくなるので、ほどほどにしているが、そうすると議論が前に進まない。どうしたら取締役としての考え方ができるようになるのか、あるいは教えられるのかと悩むところである。


 しかし、いろいろと考えてみると、その意見の対立の原因は、お互いの「立ち位置」にあるように思う。「見ている景色」が違えば意見も合わなくなる。山に住む者は太陽は山の間に沈むと言い、海辺に住む者は海の向こうに沈むと言う。どちらが正しいのか、お互いいくら議論をしても対立は解消されない。議論の前に、山に住む者は浜辺で沈む太陽を見る必要があり、海辺に住む者は山の間に沈む夕陽を見る必要がある。お互いに相手の見ている景色を見て初めて同じ土俵で議論ができる。


 我が社は従業員数100名に満たぬ中小企業であるが、毎年一定数の新卒採用をこなしている。私が入社した時、「よく新卒など採用できるな」と感心したものであるが、それは前任者が足繁く地方の学校に通い、人間関係を築き、そうして会社案内の場を設けてもらい、面接・採用とつなげてきたもの。その間には、仲良くなった教授から「頼む」と言われて二つ返事で採用した学生もいるが、そうした学生は得てして出来が悪く、引き受けた部署の役員の不評を買っている。「なんでそんな者を採用したのか」と、「採用時の面談でしっかり判断しろ」と。その意見自体は正しい。


 採用にあたっては、しっかり面接し、審査し、適した者を採用するのが当然である。親しくなった教授から頼まれただけで採用するのは何事かと言うのは正しいが、それは部分的である。のちに優秀な生徒が内定取り消しにあい、慌てて紹介されて採用したケースもある。普通にいけば採用できなかった学生である。彼は今、中堅として活躍している。8人採用して1人ダメだからと言ってそこに焦点を当てるより、7人成功したという事実にこそ目を向けるべきであると思う。そして、それは議論の前にきちんと説明すべき事情である。


 山に住む者と海に住む者とが議論をする時、大事なのはお互いに見ている景色を共有する事であるが、その時、「相手のレベルが低いから教えても無駄」と思ってしまうと永久に相互理解は成り立たない。大事なのは、まず同じ土俵に立って同じ景色を見るという事である。中小企業が新卒採用をするにはリスクテイクが必要である。そのリスクを批判するのではなく、どうカバーするかを考えないと採用それ自体ができなくなってしまう。同じ土俵に立っていれば、「なんでそんな者を採用するのか」ではなく、「どうしたらそんな者を育てられるか」になるかもしれない。


 人のレベルなどそう変わるものではないという意識が私にはある。相手のレベルを見るのも大事だが、同じ景色を見せる努力の方が大事ではないかと思うのである・・・

 

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【本日の読書】 

   



2022年7月24日日曜日

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。

勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。

おのれを責めて人をせむるな。

及ばざるは過ぎたるよりまされり。

徳川家康

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 この言葉を知ったのは、小学校6年の時であったと思う。日光移動教室で東照宮に行き、この言葉が彫られている盾を買ったのを覚えている。「鳴くまで待とうホトトギス」に代表される家康のいかにもな遺訓である。個人的につけている日記の冒頭にはこの言葉をコピペして常に目にするように心掛けている。というのも、これは自分自身も常に心したいと思う言葉だからである。


 人生は耐久レースともよく言われる。ただ単に急ぐべきではないという意味だけではなく、途中で遅れても焦らずに続けるべきであるという意味でもあると思う。私は小中学校は学力的にはそれほどでもなかったが、高校は少しレベルの高い都立高校に進学できた。かなり苦戦したが、大学はさらにレベルの高いところに行けたので(売り手市場という環境も幸いしたが)、就職は引く手数多で苦労はなかった。しかし、それが災いしたのか、銀行に入ってからは苦戦の連続。銀行の水に馴染めずビジネスマンとしてはあまり成果が残せなかった。


 しかし、人知れずやっていたことはいつの間にか己の血肉となっていて、転職した後はそれが大いに役立っている。中小企業だから偉そうなことは言えないが、1年で役員に引き上げてもらえた事からも、知らず知らずのうちに力はついていたようである。銀行員時代、熱心に指導していただいた方にそんな自分の今の姿を見てもらいたいと思うくらいである。しかし、耐久レースゆえにもう安心というわけにはいかない。気を抜かず、努力を怠らず、周りの人への配慮も忘れずに精進しなければ、いつ転倒するかもしれないと考えている。


 娘は私以上によく勉強し、私よりもレベルの高い都内トップクラスの高校に進学したが、そこで躓いてしまった。入学した時はこのままトップクラスの大学に行くのかと期待したが、学校へ行くのさえやっとという状態になり、卒業できてホッとしたくらいである。そして1年浪人して中堅クラスの私立大学になんとか滑り込んだ。親としてがっかりかと言うとそんなことはなく、就職には苦労するかもしれないが、上場企業に就職できなくても別に構わないと思う。耐久レースゆえに、途中で諦めることさえしなければ自分なりのゴールに辿り着けるだろうし、それでいいと思っている。


 子供の頃は、金持ちの家に生まれたかったとよく思っていた。好きなものを好きなだけ買える友達を羨ましく思っていた。自分専用の部屋がある友達が羨ましかった。今でも若くしていい車に乗っていたり、高いマンションを買っていたりしている人を見ると、親の援助があるのだろうかなどと考えたりする。親の代からのアパートなどを所有しているという話などを聞くと、その感はさらに強くなる。ただ、それでも都内に戸建の注文住宅を建て、2人の子供にもそれぞれ部屋を与えられたのだからまぁいいのだろうかと思ってみる。不自由を常と思えば不足なしである。


 人と関わり合えば、いろいろと腹立たしいことはある。だからと言って怒りの感情を爆発させればいいと言うものではない。前職では、あれこれ考えに考えて社長に代わって会社の業績を改善したのに、昨年あっさり首を切られてしまった。経営を私に任せていた社長が、一言の相談もなく突然会社を売って億単位の金を独り占めして引退したのである。若かりし頃であれば怒り狂っていたと思うが、冷静に考えて子会社を貰い受けることを思いつき、退職金相当の資産を確保してみんなと分けた。多分、元社長は地団駄を踏んでいるに違いなく、現在法廷バトルを展開しているが、冷静に対応して(余談を許さないが)、戦況を有利に進めている。


 シニアのラグビーでは、一回り以上若手の人たちと試合をしているが、最近は体力差を感じることが多い。昔はどんな相手にでも負ける気はしなかったが、最近はタックルに行っても跳ね飛ばされたり、走り切れると思ったのに追いつかれたりと、己の力の衰えを感じる。しかし、だからと言って無理に対抗するのではなく、そうした己の力(弱さ)を認識した上で、チームプレーを心がければいいと考えるようになっている。勝つことばかりではなく、むしろ「負けない方法」を考えるようになっているのである。


 会社では、先に述べた通り己に力がついているのを実感しているが、それは同時に他者の力不足を感じることでもある。考え方一つとってみても、「なんでそういう考え方をするのだろう」と批判したくなるが、それがその人の考えであるならば、それを前提に自分はどうするか。他者ではなく、自分がそれに合わせてどう行動するかを考えている。まわりが何の問題もない一流のビジネスマンばかりなら自分の出番などないわけである。そう考えれば、自分が力を発揮できる環境に感謝し、うまくいかないのは他者のせいではなく、そんな他者を動かせない自分の説得力不足なのだと自然と考えている。


 同じ役員でも、業績安泰の企業の役員であったならどんなにかいいだろうかと思う。現にそういう友人知人もいる。自分だってチャンスさえあったならと思わなくもない。明日をも知れぬ中小企業ゆえに将来的な不安はあり、その不安は遠い将来というよりも来月から始まる新しい期の話でもある。理想には程遠い現実である。ただ、理想から遠いからこそ必死になるのかも知れない。自分の力で少しでもいい方向に行けたのなら、それはそれで誇らしい。そういう誇りは、老後の心の拠り所になるかも知れない。及ばざるからこそ、そう思えるとも言える。


 こうして考えると、家康の遺訓は一々しっくりくるのである。何となく漠然といい言葉だなと思った小学生の頃にはわからなかったが、いろいろな経験をしてくると、その言葉に内包されている真実がじんわりと骨身に染みてくるのである。まだまだ耐久レースは続く。己自身も始まったばかりの子供たちも。焦らずじっくりと、この耐久レースを楽しみたいと思うのである・・・



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【今週の読書】

   




2022年7月17日日曜日

臨機応変

 私は自分で言うのもなんだが、かなり臨機応変が効く男だと思う。もともとあまり計画を立てて実行するというより、その場の流れで思った通り、感じた通りに行動するというタイプであるということもある。その昔、女性とデートするのにもあらかじめデートコースを考えるというのが苦手で、ざっくりここ(銀座とか新宿とか)と決めて、あとは臨機応変という名の「行き当たりばったり」であった。あまりモテなかったのも、そんなところが大きかったのかもしれない。


 しかしながら、この臨機応変も大事であると思う。何事も計画通りいくとは限らない。否、大半が計画通りにはいかないものだと思った方がいい。そうした時、オロオロするのではなく、状況に合わせて臨機応変に対応するしかない。問題はその時、適切に対応できるかである。これはなかなか難しいことだと思う。その時、どうしたら臨機応変に適切に対応できるかであるが、臨機応変であるがゆえに事前に準備しておくということも難しいのだろうと思う。どうしたら臨機応変に対応できるであろう。


 考えてみるに、やはりそれは事前に計画し、準備しておくことしかないと思う。一見、矛盾しているが、臨機応変は行き当たりばったりとは違う。行き当たりばったりは無計画で出たとこ勝負であるが、臨機応変はまず計画である。目標を立てて、そこに至る手順を考える。そして状況の変化によって計画通りに行かなかった場合、目標をぶれさせることなくそこに至る次の手を打つ。プランB、プランCと用意できればいいが、用意できなくても問題はない。


 例えばスポーツの試合では、私もラグビーをやっているが、練習で様々なチームプレーを準備して試合に臨む。試合では相手があるだけに、事前に計画した通りにできるとは限らない。しかし、日頃から様々なシチュエーションに備えてイメージし、練習していると、それが試合のシーンで咄嗟にできたりする。練習していれば考えなくても「体が動く」のである。「こう来たらこう動く」という練習を繰り返していれば、試合の時もそのようにできるのである。それは行き当たりばったりとは違う。


 朝の通勤でも、人身事故が発生して電車が止まってしまった場合、新たなルートを選ばないといけない。目的地は変わらないので、あとはどういうルートを選択するかである。これも日頃からいくつかのルートを頭の中に入れておけば、迷わず代替ルートを選択できる。行き当たりばったりだと、その場で慌てて「乗り換え案内」を検索するということになる。通勤ルートのような単純なものであれば、行き当たりばったりでもどうにでもなるが、スポーツの試合や会社経営となるとそうもいかない。「無計画」と、「計画通りに行かない」とは似て非なるものである。


 そもそもであるが、スポーツでも仕事でもうまくいかないのが当たり前だと思っている。そう思っているので、うまくいかなくてもストレスには感じない。自分の考えに必ずしも周りが同意するとは限らない。否、むしろすんなり同意を得られることの方が少ないと考えている。だから「なんでわからないんだ!」と腹を立てることもないし、むしろ「そういう理由で反対するのか」と冷静に分析してみるくらいである。実際、我が社の役員会では何か提案しても反対、あるいは同意を得られないことの方が多い。


 そんな時は、臨機応変に対応するしかない。反対理由によっては少し形を変えて同意を得られる場合もある。あくまでも自分の考えに固執して無理に通そうとするよりも、まず形を変えて通してから少しずつ自分の考えに近づけていくという方法もある。実際、了解を得てしまえば、その後の修正案にはあまり抵抗を受けないケースが大半である。大事なのは目的がブレないことであり、その限りでは多少形が変わったとしても拘らずに臨機応変に対応しようと考えている。


 大きな話をすれば、自分の人生もこの通りではないかと思う。あれこれと計画を立ててもその通りにいくとは限らない。されど計画を立てることは大事。今は最低でも70歳まで現役で働こうと考えているが、その通りにいくかどうかはわからない。されどそういう考えを持つことがまず大事。昨年、転職して一般社員として入社したが、我が社の規定では定年が60歳。そのあと再雇用制度はあるが、収入は半減する。そこでまずは役員昇格を目指したが、それは達成した。これで定年の縛りは無くなったが、あとは会社の業績である。潰れてしまったら元も子もない。


 会社も安泰かというと、そこは社員100名にも満たない中小企業ゆえに安泰ではない。どうなるかはわからないが、計画は計画でその通りいかないのが当たり前。その時は目的意識をしっかりと持ち、臨機応変に対応するしかない。そういうものだと思っていれば、思いがけない想定外の展開になっても「想定内」と言える。何があっても慌てず動ぜず。しっかりと考え、臨機応変に対応するだけである。そういう考えで、これからもやっていきたいと思うのである・・・

 

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【今週の読書】

  



2022年7月14日木曜日

不安

 生きていく上で、避けたいが避けられないものとして「不安」がある。「不安」とは広辞苑によると、「安心のできないこと。気掛かりなさま。心配」とある。「どうなるかわからないという心配」、「起きてはほしくない事が起きる恐怖」と言えるかもしれない。酷くなると他のものが手につかなくなるし、夜も眠れなくなる。ここまでになるとなかなか辛い。

 私もそうしたひどい不安を味わったことがある。近年では銀行を辞める際であったし、その後の前職では会社の借入に個人保証を入れたあと、資金繰りが厳しくなった際である。どちらも夜中に背筋の凍るような思いをして目が覚めるという経験をしたが、これは2度としたくはない経験である。そこまでの激しい不安とまでいかなくとも、小さな不安は日常に溢れていて、ひとつが過ぎてもまた次の不安が頭をもたげる有様である。どうしてそうなのであろうか。


 人が不安を感じる最大の理由は、「未来がわからない」事によるものだと思う。未来がわかればほぼ不安はなくなる。失職した時に感じた不安の正体は、「家族を養っていけるかという心配」と、「住宅ローンが払えなくなる=住む家を失うという恐怖」であるが、無事就職してそこそこの収入を得られるということがわかっていれば不安は感じないで済む。「未来がわかれば」不安は感じなくても済むのである。だが、人間には未来を知る能力はない。ゆえに不安からは逃れられない。


 逃れられないのであればどうするか。克服するしかない。ではどうやって克服するのか、あるいは果たして克服できるのか。できる、できないで言えば、できるものとできないものがある。できるものとは、例えば受験生が不合格の不安を解消すべく懸命に勉強するようなものである。私も宅浪時代は、110時間のノルマを己に課して必死に勉強した。終わった瞬間、もうこれ以上勉強できないと感じたほどである。勉強している時間は、不安を紛らわせることができる。


 一方、試験が終わって後は発表を待つばかりとなると、もうこの不安は解消できない。自らの力ではどうにもならないからである。今はネットでだいぶ早く結果がわかるようになっているが、当時は2週間この不安に苛まされたものである。もっとも、やるだけやったと割り切れればこの限りではない。割り切れなければじっと不安に耐えるしかない。不安を克服する手段としては、忘れるくらい必死に努力するという方法と、じっと耐えるという方法がある事になる。


 後は、最悪の事態を想定して覚悟を決めることだろうか。「最悪でもここまで」と割り切れるのであれば、まだ不安を鎮めることができる。何より未来がわからないからこその不安であるが、それが想定できるのであれば不安を軽減できる。私は小さな不安に襲われるたびに毎回この手法を使っている。今抱えている裁判でも、負けてとられれてもここまでというのがわかっている。後はそれをどうするかであるが、それも対応策ができている。負けたくはないが、負けてもここまでというのがわかっているので、比較的不安は鎮めることができている。


 そう考えてみると、不安に対処するために必要なのは、「準備」だと言える。万が一の時はどうするのか。最悪の状況をどこまで見積り、それにどう備えるか。それに尽きると言える。もっとも、モノによってはそんな準備など何にもならないものもある。例えば恋の告白だろうか。いくら準備しても万全とはいかないし、そもそも準備とは何かという問題もある。最悪の事態は振られることであるが、これは考えるだに恐ろしい結末であり、これを考えるから不安になるのであるから想定すること自体、無意味である。


 「案じるより生むが易し」とはよく言ったもので、確かにあれこれ考えて不安に慄くよりも、行動することが一番かもしれない。実際、過去の大きな不安もそれで乗り切ってきた。心配しても事態は実は変わらない。合格発表を待つだけの受験生は、いくら不安を感じても結果はなるようにしかならない。であれば、合格した幸せの結末を想像するか、不合格となった時の対応の準備に入るかしかない。そしてそう割り切るしかない。


 今も小さな不安はいくつか抱えているが、そう割り切っている。不安に慄くよりもやれることはある。それが例え気晴らしだとしてもいいと思う。案じて変わるのなら案じればいいし、どうしようもない不安であれば、神頼みでもいい。私も過去に毎朝神社に通った経験がある。それで心が落ち着くのであれば、大いに意味はある。避けたり逃げたりはできない以上、「with不安」の生活の方法を考えるしかない。


 今後2度と夜眠れなくなるような不安は味わいたくないが、対処の仕方だけは心しておきたいと思うのである・・・


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【本日の読書】

  



2022年7月10日日曜日

論語雑感 雍也第六(その20)

 論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】
子曰、「知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者。」
【読み下し】
いわく、これしるものは、これこのものこれこのものは、これたのもの

【訳】

先師がいわれた。

「真理を知る者は真理を好む者に及ばない。真理を好む者は真理を楽む者に及ばない。」

『論語』全文・現代語訳

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 原文では「知之」とあるが、「之」とは何かよくわからない。邦訳では「真理」とされていて、なるほどそういう解釈が一番のようにも思うが、よくよく考えてみると、それは何でも当てはまるように思う。一言で言えば趣味の類は皆当てはまる。義務感だけでやるのと楽しみながらやるのとでは、同じやるにしても結果が大きく変わってくるのは考えるまでもないこと。孔子の時代からそうした真理は変わっていないということなのだろうと思う。


 そうして思い出すのが、トム・ソーヤのエピソード。いたずらの罰としてペンキで壁塗りをやるように言われるが、嫌々やりはじめるも、友達に頼んでも誰も手伝ってくれない。そこでトムは一計を案じ、壁塗りをいかにも楽しそうにやり始める。すると、それを見た友達が面白そうだからやらせてくれと頼んでくる。トムが渋ると、物を持ってきて差し出してまでやらせてくれと頼まれる。それならと壁塗りの仕事を友達にやらせてしまう。私も子供が小さい頃、「お手伝いごっこ」をして「遊んで」あげた記憶がある。

 

 同じやるにしても、言われてやるのと自分からやるのとでは雲泥の差がある。ことわざにも「好きこそ物の上手なれ」という言葉がある通り、好きでやっているものは上達も早い。これは孔子の時代から変わらぬ真理というより、人間に固有の心理であると思う。そこから派生すると、どうせやらなければならない事であれば、嫌々ながらやるよりも何か楽しみを見つけてやる方がその過ぎゆく時は幸いであるように思う。

 

 私の場合、孔子の言葉を意識したわけではないが、「楽しみを見出す」という意識はかなり以前からあったと思う。高校時代は勉強がそれであった。もともと「知らないことを学ぶ」ということに興味はあったが、学校の勉強は面白いものばかりではない。好きな科目だけ勉強すればいいというものでもない。そんな中、全教科にわたって広くモチベーションを保つために工夫したのが、成績の順位が上がることをゲーム感覚で捉えたことだろう。これが効果があったのは確かである。

 

 今で言えば仕事だろう。私はもともと「仕事が趣味」という人間ではない。銀行に入って最初に仕えた上司が「仕事が趣味」という方で、それだけでも嫌悪感を抱いたものであるが、今はその気持ちを理解できるようになったものの、自分はそうではない。そうではないが、仕事は楽しい。アフターファイブも休日も仕事のことをあれこれ考えることは日常であるが、それも楽しいからである。「楽しい仕事だから好き」というより、「仕事を楽しむようにしている」という方が正解である。

 

 前職では管理していた賃貸不動産が退去によって空室になった際は、自社でクリーニングをしていた。その際、社内でチームを作って作業にあたるのであるが、私は皆が一番やりたがらないトイレと浴室を担当した。もちろんあまりいい気はしなかったが、何事も「率先垂範」であり、自分がやる意味は大きいと考えてのことである。しかし、嫌々やるのもつまらないと思い、いかにピカピカに仕上げるかを焦点にゲーム感覚でやった。その結果は、もちろんストレスが溜まることもなく(逆にうまく汚れが落ちないのがストレスになったくらいである)、楽しく作業できたのである。

 

 「好きなことを仕事にする」という考え方もあるが、私はどちらかと言うと「やる仕事を好きになる」方である。この方が、「やりたいことが見つからない」などということも起こらず、逆にどんな仕事でも選り好みしなくて済む。得意分野の財務もどの会社にもある仕事だし、転職の際は分野を絞らずに幅広く職探しができたと言える。今の仕事もシステム開発というまるで門外漢の会社であるが、財務に加えて人事も総務もこなす職務を毎日楽しくこなしている。

 

 楽しくこなしていると、必然的にあれもこれもと関心が向く。気がつけば職務範囲は前任者のそれをはるかに越え、経営の分野にも立ち入り、それが評価されて役員に昇格させてもらった。「給料分だけ」働く働き方ではとてもこういう結果にはならなかったであろう。今も24時間いつでも仕事モードに切り替わるし(その代わり仕事中もプライベートモードになる時もある)、それが苦痛でもなければ「趣味」というわけでもない。ただ、楽しいから苦にならないのである。

 

 就職する時、「自分は1年浪人しているので定年まで働く期間が1年少ない」と内心喜んでいた。その時、何となく仕事とは義務でやるものというイメージであったのであるが、今は役員にもなったことで、定年を意識することなく働き続けることができると喜んでいる。できれば最低でも70歳まで仕事はしたいと思う。そう思えるようになったのは、仕事が楽しいからに他ならない。まさに「不如樂之者」である。義務感だけで働いていたらこうはならなかったであろう。今は、このまま日々楽しみながら、できるだけ長く働き続けたいと心から思うのである・・・



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【本日の読書】




2022年7月6日水曜日

抑止力

 ウクライナでの戦争が続く中、スウェーデンとフィンランドがNATOへの加盟を申請した。ウクライナの加盟を阻止するために武力行使に踏み切ったロシアも、さすがに今回は眺めているしかない。NATOに加盟すれば集団安全保障の原理が働き、ロシアから攻め込まれる心配がなくなる。いわゆる「抑止力」という考え方であるが、これによって現在世界の平和は保たれている。それで保たれる平和というのが本当にいいのか悪いのかよくわからない。ただ、この「抑止力」があるからこそ、悲劇的な大戦が起こっていないというのも事実であるからなんとも言えない。


 第二次世界大戦が終結し、冷戦が勃発した後、第三次世界大戦の危機がよく懸念されたが、今日に至るまで77年間それは起きていない。その理由は「核の抑止力」であろう。米ソは互いに核ミサイルを保有し、お互いに向けあっている。撃ち合えば勝者はない。それゆえにお互いに戦うことを避ける。この「抑止力」こそが第三次世界大戦が起こらない理由とも言える。それは米ソ2国間のことだけではない。NATO然り、日米安保然りである。


 衆議院選挙が近づき、候補者の宣伝カーが忙しく動き回っているが、今日目にした候補は、日本の核武装を主張していた。被爆国である我が国が核武装という意見には抵抗感も多いと思うが、日本は現在、アメリカの核の傘の下にあり、それゆえに尖閣諸島も中国に取られずに済んでいる。一方、それゆえにアメリカから高い兵器を買わされ、基地はいまだに維持されている。沖縄の基地問題を解消しようと思ったら、アメリカの核の傘の下を出る覚悟が必要だと思うが、その時身を守るのは「核の抑止力」という考え方もできる。「使う」ためではなく、「抑止力」としての核武装であるが、一つの考え方としては正しいと思う。


 個人的には、核の抑止力になど頼るべきではないと思うが、現代社会ではやはり「抑止力」なくして平和は維持できない。非武装中立などという理想論もあるが、人類は今もまだ「抑止力」なくして平和を維持できるほど人間ができていない。せっせと軍備を増強し、同盟を組み、万が一の時に備える。そうして抑止力としての軍備を整えて睨み合うことで平和を保っている。それが真の平和なのかという問題はあるとして、「戦争が起こらない」という意味での平和は保たれている。


 人類はいつになったら、抑止力に頼らずに平和を維持できるようになるのであろうかと考えてみる。しかし、よくよく考えてみれば、この抑止力は至る所で働いている。たとえば道端で1万円札を見つけたら、拾うのに多分躊躇するだろう。周りに人がいるかどうかを気にするだろう。しかし、人気のない山の中であれば間髪を入れず拾うだろう。誰も見ていないという安心感からであるが、街中では「誰かに見られているかもしれない」という考えが拾うのを躊躇させる。これは抑止力だと思う。


 同様に、店に入って万引きをしないのも犯罪者となるリスクを恐れてのものだろう。「警察に捕まる」という恐れが抑止力として働く。銀行員時代、札束が日常的に身近にあったが、それをポケットに入れないのも、首になればその後の人生がメチャクチャになるという恐れが抑止力として働いていたからである(まれに働かずに捕まる人もいたが・・・)。さらに、子供が親や先生に叱られるのを避けるために良い子に振る舞うのも抑止力と言える。


 もちろん、そんな抑止力などに頼らずとも品行方正な人物もいるが、私の場合はかなりこの抑止力に負うているところがある。今まで痴漢などしたことないが、それも抑止力が正常にきっちり働いているからである(電車の中で喧嘩したりする時には働かないが・・・)。そう考えると、人間にはやはり抑止力が必要なのだろうと思ってしまう。ロシアがウクライナに侵攻しても、アメリカをはじめとしたNATOが介入しないのも抑止力。ロシアが(今のところ)核攻撃をしないのも抑止力。抑止力が戦争の拡大、深刻化を防いでいるのも事実である。


 本当なら、抑止力に頼らずとも、互いに違いを認め、共存共栄の精神で接することができれば、軍備だって本来は不要なはずである。人類は互いにより多くの武器を持って睨み合うことで平和を維持している。随分馬鹿げているなと思う。しかし、近年いろいろなところで「多様性」を是として唱えるが、政治制度においては民主主義以外の政治形態においてはその多様性を認めないのが当たり前のようになっている世の中では仕方がないのかもしれない。多様性を唱えるなら、軍事独裁性だって認められて然るべきである。自らの価値観に拘泥する姿勢が、抑止力なくして平和を築くことができない所以のように思えてならない。


 とは言え、自分自身も抑止力なくして品行方正さを保てないのがわかるゆえに、その愚かさもまた人類なのかとも思う。いつか人類も抑止力に頼らずとも世界平和を保てるようになるかもしれないが、それはまだまだ先のことだろう。世界平和については仕方ないとして、せめて自分自身だけでもなんとかしたいと思い。抑止力に頼らずとも品行方正さを維持できるようにできたら、人間として完成するように思う。そんな人間になりたいなぁと思うのである・・・


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【本日の読書】