論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
【原文】【訳】
先師がいわれた。
「真理を知る者は真理を好む者に及ばない。真理を好む者は真理を楽む者に及ばない。」
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原文では「知之」とあるが、「之」とは何かよくわからない。邦訳では「真理」とされていて、なるほどそういう解釈が一番のようにも思うが、よくよく考えてみると、それは何でも当てはまるように思う。一言で言えば趣味の類は皆当てはまる。義務感だけでやるのと楽しみながらやるのとでは、同じやるにしても結果が大きく変わってくるのは考えるまでもないこと。孔子の時代からそうした真理は変わっていないということなのだろうと思う。
そうして思い出すのが、トム・ソーヤのエピソード。いたずらの罰としてペンキで壁塗りをやるように言われるが、嫌々やりはじめるも、友達に頼んでも誰も手伝ってくれない。そこでトムは一計を案じ、壁塗りをいかにも楽しそうにやり始める。すると、それを見た友達が面白そうだからやらせてくれと頼んでくる。トムが渋ると、物を持ってきて差し出してまでやらせてくれと頼まれる。それならと壁塗りの仕事を友達にやらせてしまう。私も子供が小さい頃、「お手伝いごっこ」をして「遊んで」あげた記憶がある。
同じやるにしても、言われてやるのと自分からやるのとでは雲泥の差がある。ことわざにも「好きこそ物の上手なれ」という言葉がある通り、好きでやっているものは上達も早い。これは孔子の時代から変わらぬ真理というより、人間に固有の心理であると思う。そこから派生すると、どうせやらなければならない事であれば、嫌々ながらやるよりも何か楽しみを見つけてやる方がその過ぎゆく時は幸いであるように思う。
私の場合、孔子の言葉を意識したわけではないが、「楽しみを見出す」という意識はかなり以前からあったと思う。高校時代は勉強がそれであった。もともと「知らないことを学ぶ」ということに興味はあったが、学校の勉強は面白いものばかりではない。好きな科目だけ勉強すればいいというものでもない。そんな中、全教科にわたって広くモチベーションを保つために工夫したのが、成績の順位が上がることをゲーム感覚で捉えたことだろう。これが効果があったのは確かである。
今で言えば仕事だろう。私はもともと「仕事が趣味」という人間ではない。銀行に入って最初に仕えた上司が「仕事が趣味」という方で、それだけでも嫌悪感を抱いたものであるが、今はその気持ちを理解できるようになったものの、自分はそうではない。そうではないが、仕事は楽しい。アフターファイブも休日も仕事のことをあれこれ考えることは日常であるが、それも楽しいからである。「楽しい仕事だから好き」というより、「仕事を楽しむようにしている」という方が正解である。
前職では管理していた賃貸不動産が退去によって空室になった際は、自社でクリーニングをしていた。その際、社内でチームを作って作業にあたるのであるが、私は皆が一番やりたがらないトイレと浴室を担当した。もちろんあまりいい気はしなかったが、何事も「率先垂範」であり、自分がやる意味は大きいと考えてのことである。しかし、嫌々やるのもつまらないと思い、いかにピカピカに仕上げるかを焦点にゲーム感覚でやった。その結果は、もちろんストレスが溜まることもなく(逆にうまく汚れが落ちないのがストレスになったくらいである)、楽しく作業できたのである。
「好きなことを仕事にする」という考え方もあるが、私はどちらかと言うと「やる仕事を好きになる」方である。この方が、「やりたいことが見つからない」などということも起こらず、逆にどんな仕事でも選り好みしなくて済む。得意分野の財務もどの会社にもある仕事だし、転職の際は分野を絞らずに幅広く職探しができたと言える。今の仕事もシステム開発というまるで門外漢の会社であるが、財務に加えて人事も総務もこなす職務を毎日楽しくこなしている。
楽しくこなしていると、必然的にあれもこれもと関心が向く。気がつけば職務範囲は前任者のそれをはるかに越え、経営の分野にも立ち入り、それが評価されて役員に昇格させてもらった。「給料分だけ」働く働き方ではとてもこういう結果にはならなかったであろう。今も24時間いつでも仕事モードに切り替わるし(その代わり仕事中もプライベートモードになる時もある)、それが苦痛でもなければ「趣味」というわけでもない。ただ、楽しいから苦にならないのである。
就職する時、「自分は1年浪人しているので定年まで働く期間が1年少ない」と内心喜んでいた。その時、何となく仕事とは義務でやるものというイメージであったのであるが、今は役員にもなったことで、定年を意識することなく働き続けることができると喜んでいる。できれば最低でも70歳まで仕事はしたいと思う。そう思えるようになったのは、仕事が楽しいからに他ならない。まさに「不如樂之者」である。義務感だけで働いていたらこうはならなかったであろう。今は、このまま日々楽しみながら、できるだけ長く働き続けたいと心から思うのである・・・
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【本日の読書】
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