論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
【原文】************************************************************************************
人間は本来正直に生まれついているというのは、その通りだと思う。純粋無垢に生まれ、嘘をつくことを知らず、嘘をつかれるということも知らない。よって子供は人を疑うということを知らない。サンタクロースがいるってことも信じて疑わない。それから成長するに従って、世の中に蠢く悪意を知り、疑うということを知るようになる。しかし、それも年老いていけば元に戻り、やがて疑うことを忘れ、素直にオレオレ詐欺に騙されるようになる。人間の本性は善だと思うところである。
しかし、正直に生き続けるというのも実に難しい。『正直不動産』という漫画では(今はドラマもやっているようである)、口八丁の不動産業界で好成績を収めるやり手の主人公が、祟りによって嘘がつけなくなるという物語である。この漫画が面白いのは、主人公が嘘がつけなくなって成績を落とすどころか、逆に正直に語ってお客様に感謝されて成績が上がっていくというストーリーである。嘘をつきまくって利益を上げ、成果主義でたくさんのお金を手にするサラリーマンを描いても受けないように思う。それは我々の心の中にある正直さが、主人公のそれと共感するからに他ならないからだと思う。
人は自分と他人とを比較したら、究極的には自分の方が大事である。だから他人のことより自分のことを優先したいと誰でも思う。「正直に生きる」と言えば聞こえはいいが、実社会ではなかなかそうはいかない。そこにあるのは「本音と建前」の世界である。私が銀行に入った時、すでにそこは「滅私奉公」の世界。「仕事」が何より優先。仕事が終われば上司と飲みに行く。土日であっても支店の行事に優先的に参加する。1年目は何時まで働いても時間外などつけられない。「おかしいじゃないか」と思うことばかりの世界であった。
しかし、当時すでに反逆的精神に溢れていた私は、本音で「正直に」生きた。上司の誘いは断って飲みに行かず、土日の行事への参加は拒否。会社の運動会(3年ほどでバブル崩壊の不況の煽りで廃止になった)にはついに参加せず。その結果、「あいつは生意気だ」と不評を買ったのは言うまでもない。同じ支店の諸先輩には嫌われていたと思う。さすがにそうした態度による軋轢に耐えられず、嘘をつくことにした。「その日は友人の結婚式がありまして・・・」。そうすると角が立たない。実社会では正直に生きない方がうまく行くという事を私は学んだのである。
今もたとえば役員会ではかなり意見が対立する。何かといえば反対する役員の姿勢には腹が立つ。いつまでも事業部長=従業員の感覚で考えており、会社の「経営者としての取締役」の役割を理解していない。しかし、そんな腹の中を「正直に」言えば当然反発を受けるだろう。なので、本音はグッと心に秘め、「なるほど、その指摘はもっともですね。でもこういう考え方はどうでしょうか」などと穏やかに話す。それでもなかなか賛意は得られないが、会議後に普通に相談を受けたりするので、関係は悪化していない。
やたらと本音を正直に語って人と対立するよりも、自分の気持ちを抑え、相手のことを考慮しながら正直な気持ちを隠して接すれば穏やかな人間関係が保てる。私が社会人生活の中で傷つきながら身につけた処世術である。「正直」というのをどう定義するかにもよるが、それが他人と相対立するものである場合、当然それを全面に出すのは良くない。自分の利益と相手の利益が対立すれば、正直に言って当然自分の利益を優先させたい。しかし、相手の利益をあえて優先させることで相手が喜んでくれるなら自分も気持ちいい。それを「利益」と考えるのであれば、相手の利益を優先させることも「自分の利益」と定義することができる。そう考えれば、自分の利益を「正直」に優先させたとも言える。
正直に生きることはいいことだと思うし、それを否定するつもりはない。しかし、今の自分は特に自分に対して正直には生きてはいない。自分のことより家族を優先させるのなんてしょっちゅうだし、自分のやりたいことを堪えて週末には実家に顔を出している。仕事ではかなりやりたいようにやれるようになってきているが、それでも「本音」を隠して穏便に物事を進めている。人には気持ちよくやってもらった方が何事もうまく行く。今日も自分の正直な気持ちを抑えて1日を穏やかに過ごした。それでいいと思うが、孔子の言いたかったことと合致しているのかはわからない。
正直に生きるとはどういうことなのか、よくよく考えてみると難しい。あれこれ考えることなく、自分の思った事を言い、思った通りに行動し、嫌なことは何一つやりたくない。それが正直な気持ちである。仕事では楽をしたい。面倒なことは引き受けたくない。責任も取りたくない。ただ、そういう正直な気持ちに蓋をして、面倒を引き受け、丁寧に相手を説得し、頭から否定したいところをグッと堪え、責任を一身に引き受ける。そんな働き方をしていると、なぜか周りの信頼を集め、頼られる。それがまた心地良いからそんな働き方に拍車をかける。
正直に生きるとはどういうことなのか。今の自分は正直に生きているのだろうか。一晩考えたくらいでは、答えを得られそうもないと思うのである・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿