「好きこそものの上手なれ」とは、昔からよく言われる諺である。実に的を射た諺であるとつくづく思う。好きだからこそ、「もっと」やりたいと思い、一生懸命やる。上手くなりたいと思うから「もっと」工夫する。「もっと」上手くなれる方法はないかと常日頃考えているから、いろいろな情報が入ってくるし、そこから学べる。興味がなければスルーしてしまうような情報でも、感度の良いアンテナには引っかかってくるのである。だから上達する。「もっともっと」と追求する姿勢が上達につながるのである。簡単な理屈である。
ではその逆に好きでないものとなるとどうなるか。興味がないからまずやらないし、やってもすぐ辞めてしまうだろう。当然、上手くなりたいとも思わないから工夫もしない。仕方なく、言われたことを渋々やる形だろう。良い情報がたとえあったとしても、やる気がなければスルーしてしまうだろう。だから学ぶ範囲も限られているし、ともすれば覚えたとしても忘れてしまうだろう。そこには「もっともっと」の気持ちはかけらもない。だから上達もしない。
顕著にこの傾向が出るのは趣味の世界だろう。私もシニアラグビーが楽しくて仕方ない。若い頃はFWだったが、今はBKに転向し、慣れないポジションをマスターしようとそれこそ日々研究している。テレビで試合を観ても、同じポジションの人の動きを追ってしまうし、そこで目についたプレーなどは、次の機会に自分でもやってみようと思ったりする。練習でも全体練習だけではなく、自分の弱点を改善するための自主練習をしたりしている。学生時代も他の人より1時間早くグラウンドに行って筋トレをしていたものである。
しかし、同じ好きでもその程度は人によって違う。私も学生時代1時間早くグラウンドに行っていたが、みんなそうしていたわけではない。早く行っていたのは、筋トレをするためであり、自分がそうする必要があり、そうしたいと思ったから。みんなが同じように考えているわけではない。それこそ、「人は考え方でできている」のである。四六時中夢中になっている人もいれば、そうでない人もいる。その程度は人様々である。
また、好きでなくても上手な人はいる。どうせやるなら上手くやってやろうと自然と考えるタイプである。私もどちらかといえばこのタイプである。どうせやるならもっと効率的に、あるいは「こうした方がいいのではないか」とついつい工夫してしまう。もともと「言われたことを言われた通りにやる」ことが好きではない。最初は言われた通りにやったとしても、何度もやるようなことは、自然と自分なりにやり方を考えてしまう。もちろん、すべてではない。どうしても興味の持てないことはこの限りではない。さっさと言われた通りにやって終わらせて手放したいと思ってしまう。
そういうことを考えてみると、仕事においても彼我の違いが見えてしまったりすることがある。私は仕事好きというわけではないが、どうせやるなら人より上手くと考える方である。だから創意工夫は常だし、日頃からいろいろと意識してアンテナを張っている。プライベートの時間でも常に意識はオンに入るようになっている。どうやったら一番いいかということを考えているし、自分の責任の範囲内だけでなく、会社全体の立場で常に考えている。そうしていると、やがて頼られて意見を求められるようになっている。
そうでない典型的な人が会社にいるが、その人の仕事ぶりを見ていると、「決まった仕事」か「指示された仕事」しかしない。おそらくそれが一番責任がなくていいからだろう。そういう仕事は楽である。また、その人に仕事の指示をする場合はやり方も指導しないといけない。自分では考えてくれないからである。文字通り「手取り足取り」である。私より年上であり、もう定年後の再雇用であるが、そんな状態だから給与も最低限である。ご本人は内心不満を感じているようであるが、そういう働き方では仕方のないことである。
仕事は好きとは別に「やらなければならないこと」である。給与も「もらうもの」ではなく、「稼ぐもの」という意識でいないとダメだと思う。たとえサラリーマンであっても、である。その時に重要なのは、「もっともっと」の精神だろう。そういう意識を持って自分の仕事を広げていけば、給与も減ることはないだろう。好き嫌いとは別に、「もっともっと」の気持ちが必要であると思う。どうせやらなければならないこと、しかも生きていく上で必要なことであれば、「もっともっと」と追求して「ものの上手」を目指していきたいと思うのである・・・
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