年明けに『望み』という映画を観た。高校生の息子が事件に巻き込まれて行方がわからなくなった家族の姿を追うドラマである。どうやら友人同士の間でトラブルがあったらしく、息子の友人が死体で発見され、息子を含めて3人が行方不明になっている。そして警察やマスコミ報道で、どうやらトラブルは2対2の状況で起きたらしく、3人のうち2人は加害者、残る1人は被害者であるらしいとわかってくる。息子は果たしてどちらなのか。もう1人の被害者も生存は絶望的という状況の中で家族の苦悩が描かれる。
最愛の息子の行方がわからず、加害者であれば殺人を犯した可能性が高く、被害者であれば殺害されている可能性が高い。どちらにしても家族には辛い結果しかない。母親は絶対的に息子に生きていてほしいと願い、それは「たとえ犯罪者でも」という但し書きがつく。一方、建築士の父親は、息子に殺人の疑惑が生じる中で、息子を殺された長年の取引先からもう一緒に仕事はできないと断られ、なじられる。激減する仕事の中でハッキリとは言わないが、息子に犯罪者であってほしくはないと願っている(ように見える)。家族に犯罪者がいると自身の高校進学に影響すると言われている妹は、犯罪者であってほしくはないとはっきり口にする。
もしも被害者である場合、世間の同情を集め、何よりも他人を傷つけることはなかったという安堵感を得られる。世間体から言えば、圧倒的にこちらの方が良い。一方、加害者であれば、本人の長期の懲役刑は当然としても、家族も損害賠償で家も財産も失うだろうし、父親もドラマのように仕事はなくなるだろうし、妹の進学なども含めた総合的な悪影響は計り知れない。それに対し、それらすべてを鑑みることもなく無条件に息子の生存を願う母の愛情は絶対である。
同じ高校生の息子を持つ父親として、自分だったらどう思うだろうかと思わず考え込んでしまった。母親の立場は明確である。我が子かわいさがすべてであり、それ以外の選択肢はない。しかし、父親としてはやはりいろいろなことを考える。まず被害者側に対して申し訳ないという気持ち。それから損害賠償で家や財産を失う恐怖。仕事も場合によっては続けられなくなるかもしれない。将来、出所してきた息子はまともに職に着くのも難しいかもしれないし、そうするとそのサポートも必要である。
逆に被害者であれば、仕事は安泰だし、世間からは同情を得られる。引っ越す必要もないし、外に出ても堂々としていられる。妹も犯罪者が身内にいると私立高校への進学は難しいなどと心配する必要もなく、自分の人生を生きていける。ただ、息子を失うという悲しみだけが残るだけである。映画は、息子が殺された友人のために力になっていたということがわかり、母親にとっては最悪の結果だが、父親としては我が息子を誇りに思える結果となる。涙ながらも大きな安堵感が伝わってくる。果たして自分も同様に思うだろうか・・・
究極の選択に思えるが、自分であれば状況によって変わってくるだろう。もしも一人息子であれば、やはり「生きていてほしい」と思うだろう。それがたとえすべてを失うことになったとしても、である。しかし、この映画のように兄弟がいてそちらに影響が出るということになると、残念ながらこの映画のように「名誉ある死」を望んでしまうと思う。自分だけなら諦めもつくが、そうでなければ残る兄弟姉妹のことを考えてあげたいと思う。どちらも自分の子供だからである。
息子の部屋であるものを発見した父親は、息子に対するあいじょぅと信頼感が増し、疑惑を向ける世間に対して毅然とした態度を取る。親子ならではの信頼感。自分の息子ともそういう信頼感を築けたらいいなと思う。息子がどちらかわからない間、家族は外部からの様々な軋轢に翻弄される。されど父は息子に対する絶対の信頼感から毅然と行動する。その姿が眩しくもあり、自分もかくありたいと思う。ドラマで心惹かれたのは、気難しくなった息子が父親の言葉をきちんと受け止めていたこと。無愛想でも言葉はしっかりと届いている。そこに自分もヒントを感じる。言葉は届くのだと。
そのように子供に対して何か思いがあるならば、遠慮なくその思いを届ければいいと思う。最悪の結果となった映画の結末だが、息子との絆が残った父親には救いがあった。そういう事態にならないのが一番ではあるが、いろいろと抱いている子供たちに対する思いはきちんと伝えたいと改めて思う。映画は時に現実の自分に対して様々な気づきを与えてくれる。これからも好きな映画をたくさん観ながら、いろいろと人生のヒントを得たいと改めて思うのである・・・
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