この頃、「老い」というものを考える。と言ってもまだ50代。還暦には若干、間がある。昨今の高齢化社会でいけば、まだまだ「若い」と言われてしまう。週末に参加しているシニア・ラグビーのチームは60代が中心であり、そこでは「中堅」である。さすがに会社ではもう上から数えた方が早いが、それでも定年後に嘱託に転じた方からは「若い」と言われている。そういう環境だからか、「自分が歳をとった」という実感はほとんどない。気持ちの上では20代の頃とそれほど変わらない。
しかし、写真を見ると確実に歳を取っているのがわかる。特に結婚したばかりの20年くらい前のものだと、髪は黒々としているし、肌艶も生き生きとしている。写真の中の自分と鏡の中の自分を比べれば、確実に老化現象が見て取れる。当たり前と言えば当たり前である。さらに先日、それをグラウンドで実感させられた。ボールを持って相手のディフェンスを抜いた後、何と後ろから走ってきた学生に捕まえられたのである。足の速さには自信がある私には、後ろから走ってきた相手に追いつかれるということは、記憶の限りない経験である。
他の場面でもその学生の足の速さにはついていけなかった。ちょっとショックであった。実は、私はまだ息子と駆け足で競争しても勝てる自信がある。高校生の息子は中学の時には学年一番になった俊足であるにも関わらず、である。しかし、この経験でそれも心許ない気がしてきた。負けたところで16歳と57歳では恥ずかしくはない。それでも「まだまだ」と思うのである。毎週走っているし・・・
追いつかれたのは、自分が歳を取って衰えたのか、そもそもその学生が私より早かったのかは定かではない。歳と言っても、みんな一律に衰えるわけではない。マスターズ陸上では、65歳で100mを12秒台で走る人がいる一方、20代でも12秒を切れない人はざらにいる。時速100キロで走る新車のポルシェ911と、時速110キロで走る中古の日産マーチとではどちらが早いかと言えば、マーチである。57歳であっても50mを6秒6で走れれば、50mを7秒かかる20代には勝てる。歳は関係ないとどうしても思う。
しかし、100m走の90歳の世界記録は16秒86だというし、105歳の世界記録は42秒22だというから、確実に老化は人の身体能力を奪うことは間違いない。私もいつまでも50mを6秒台で走れるわけでもないだろう。それは自分が出場しているラグビーの試合のビデオを見れば実感する。自分では20代の頃と変わらぬ意識で動いているが、画面の中の自分の動きは明らかに遅い。ただ、周りもみんな遅いから特段遅さが目立たないだけで(むしろ中では早い方だと言える)、学生同士の試合と比べると、試合展開の遅さは格段のものがある。
こうした客観的事実を突きつけられると、鏡の中の自分は、確実に写真の中の自分よりも肉体的にも衰えているのだろう。当たり前ではあるが、そう思う一方で、「それは単なる練習不足だろう」という別の自分の声も聞こえる。昔は1週間で4日練習し、1日試合というペースでラグビーをやっていた。それが社会人になってから週2日になり、シニアの今は1日である。この練習量の差に他ならないというのも真実である。果たして年齢と練習量との要素のうち、どちらが主であろうか。
社会人の今は、週4日の練習などとても無理である。仕事があるし、仕事から帰ってきて寮で筋トレをやったり走ったりしていた20代の頃のような気力は確実にない。となれば、たとえ練習量が主要因だとしても、取り返すのは難しいと言える。いずれ肉体的に老化の影響は避けられず、どう頑張っても20代どころか40代の相手にも追いつけなくなる日が来るのだろう。それは仕方のないことではあるが、今はまだ追い抜く方が多いわけであり、風を切って走れる自分を楽しむゆとりがある。
いつまでも若ぶるつもりはないが、それでもまだまだ体を動かしたいと思う。いずれ満足に動けなくなる日まで、グラウンドでボールを追いかけたいと思うのである・・・
Gerd AltmannによるPixabayからの画像 |
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