2021年1月4日月曜日

2021年新春雑感

 昨年はコロナ禍という予想もしなかった出来事に見舞われ、なんとオリンピックも高校の同期会も中止になってしまった。それ以外にも観に行こうと思っていたミュージカルもラグビーのシニアの定期戦もことごとく中止。年末には第三波が来て両親を連れて温泉に行く計画も中止せざるを得なかった。一寸先は闇というが、まったくその通りで、今年もまた何か予想もしない出来事が起こらないとも限らない。コロナのようなものは個人の力では防ぎようはないが、できるのは「どう行動するか」だろうと思う。

 毎年恒例の初詣は、もうここ数年の常の通り私1人。早い方が人も少ないだろうと、起きてすぐに北野神社に向かう。早朝の寒さは身に染みるし、布団に入っていたい気もするが、それを断ち切ってお参りに行くのがいいように思う。神聖な気持ちで境内に入れば、なんと手水に柄杓がない。コロナ対策だろうが、なんともである。予想通り参拝客はまばらで、すぐに手を合わせ、昨年のお礼と今年も見守りを祈願する。例年の通り破魔矢を買って帰宅。神頼みをするわけではないが、謙虚な心の維持という意味でこの習慣だけはずっと維持したいと思う。

 続く我が家の正月は、息子が高校受験ということもあって、妻の実家の大阪への帰省はなし。それもあって例年は元旦だった私の実家訪問を今年は2日にした。弟も来ていたが、私も連れて行ったのは娘だけ。弟の子供は二人とも社会人であり、もう別々の行動である。考えてみれば昔はこれで家族4人だったわけで、30年後くらいには娘や息子が家族を連れて我が家にきているのかもしれない。母もよる年波には勝てず、料理はすべて買い出しで賄うのはもうここ数年の恒例である。

 今年は両親から我々兄弟にちょっとしたプレゼントがあった。それは「記念硬貨」。両親もいつの頃からか好きで、発行されると銀行へ買いに行って溜め込んでいたのである。それを私と弟とに綺麗に二つに分けてくれたのである。一番古いのは、昭和39年の東京オリンピック100円硬貨。その次が昭和45年のEXPO70である。オリンピックは1998年の長野、EXPOは1985年の筑波、2005年の愛知があり、そのほか「FIFAワールドカップ日韓大会」、「議会開設100年」、天皇陛下の「御在位記念」などがある。今回もらっては来れなかったが、「天皇即位」、「皇太子御成婚」の記念金貨もあった。

 両親からすると、ちょっと早い形見分けという意味もあるのかもしれない。考えてみれば、自分は子供達に何を残してやれるだろうかと思う。身の回りのものを見回してみてもこれといったものはない。まぁ、今回もらった記念硬貨はそのまま2人の子供達に行くだろうと思う。娘は私がもらうのを目の前で見ていたから、その時は私のもらった姿を思い出すのだろう。それ以外は金銭的なものが喜ばれるように思う。もらうよりも「(余計なものを)残さないでほしい」と思われる方が強いかもしれない。

 娘は今年成人式。高校受験を控えた息子はすでに私の身長を抜いた。いつの間にか子供達も成長している。我が子の成長は好ましいものであるが、自分は果たしてこれからも今の収入を維持して家族を支えていけるだろうか。今年一番の心配事は東京オリンピックでも同期会でもなく、会社の業績と言えるだろう。寄らば大樹の陰ではないが、銀行にいた頃はそんな心配はなかったが、中小企業ではそういう心配がある。気力だけではどうにもならない。ただできることをやっていくのみである。

 息子も娘も大人になっていく。これからはより一層大人として自分の考えを語って聞かせたいと思う。子供の一生を保証することはできないが、何かあった時に乗り越えられる道具の一つとして、親父の考えを残せたらいいなと思う。今年の一つのテーマは「コミュニケーション」。仕事でも家族でも、相手を理解し、そして自分の考えをきちんと伝える。今年はそんなコミュニケーションを意識したいと思う。

 年末にはどんな振り返りをする一年になるのだろうか。楽しみつつも、しっかりと生きていきたいと思うのである・・・


Jeff JacobsによるPixabayからの画像 


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