2020年9月2日水曜日

寄って立つところ

その昔、銀行員時代のことであるが、事務手続きの件で上司に聞かれて答えたところ、「それは確かなのか、確認したのか?」と問い詰められたことがあった。私としては、事務手続きについては(少なくともその上司よりは)精通しており、「間違いありません」と答えたが、それは上司の納得する答えではなかった。確認しろと言われて、事務本部に電話をして(知っているのに)確認する羽目になったが、問い合せたら問い合せたで、「そんなことも知らないのか」という雰囲気を言外ににじませて(知っている答えを)教えてもらった。

答えは当然同じ。そもそもその程度の事務は知っていて欲しいと思うし、もう少し部下を信頼してもいいだろうとその時は不満に思った。事務本部で答えてくれた担当者は私と似たり寄ったりの若手であり、違うのは専門部署に所属しているかどうかという点だけである。上司としては、「確実を期す」という意味で専門部署の回答を得たかったのだろうと思うし、その判断は正しいと思う。だが、釈然としないものが残ったのだけは確かである。もしもその上司の上司が私と同じことを回答したら、さすがに専門部署に聞けとは言わなかっただろう。

要は、その時に大事だったのは、「何を言ったか」という中身の話ではなく、「誰が言ったか」という信頼度の問題だったと言える。もちろん、私が信用されていなかったというだけの話で、上司を責める話ではない。しかしながら、そういう経験をしてきたせいか、人の言うことに対しては、「誰が言ったか」ではなくて「何を言ったか」で判断するように心掛けている。子供でも物事の本質をついたことを言ってくることがある。そういう時は、きちんと筋道立てて答えるようにしている。間違っても、「子供は黙ってなさい」というような態度は取らないようにしている。

私は仕事では、№2の立場が非常に気に入っている。それは「責任が軽い」ということもあるが、「発言の自由度」というメリットもある。それはつまり、「いざとなったら取り消せる」という気軽さである。個人の立場である場合は除き、仕事の場合はあくまでも私の発言は会社の一社員の発言である。最終的な決定権が社長にあるのは周知の事実であり、いくら私が約束してもいざとなったら最終的には社長がそれを覆せる。もちろん、私の立場はなくなるが、会社としては筋を通せる。

もちろん、だからと言って適当なことをしゃべるわけにはいかないが、「持ち帰って検討します」とは言える。社長であればその場で決断を求められるかもしれないが、№2は「持ち帰る」と言って、判断を持ち越せるのである。これは誠に都合のいいことである。逆に前向きに進めるべき案件であれば、その場で返事をしてしまえば自分自身の信頼度を高めることになる。「この人に話をすればいい」と相手に思わせることができるのは大きい。自らの立場をうまく利用して都合よく発言を生かせるという意味で、№2は居心地がいいのである。

発言の中身について見ると、表面だけしか見ていないという場合はよくある。現在も難しいプロジェクトを前にしているが、「何も無理してやらなくてもいいのではないか」という意見を言う人がいる。それが会社の業績を踏まえての意見であればよいが、単にそのプロジェクトだけを見て判断しているのである。会社から見れば、苦しい状況の中、難しくとも案件を獲得して実績につなげていかないといけないという状況にある。「無理してやらなくてもいい」のはその通りなのであるが、「どうしたら業績を上げられるか(そして社員に給料を払っていけるか)」と苦悩していないからこそ吐けるセリフである。

また、問題が発生した時に、「どこを見ているか」によっても答えは違ってくる。目先しか見ていない者は、やはり目先の判断である。それに対し、先々を見ている者は、「次の展開」を読んだ判断となる。右へ行けばなだらかな道、左は上り坂。目先しか見ていなければ「右へ行こう」となるだろうが、その先に危険な崖があることがわかっていれば、上り坂でも危険の少ない「左へ行こう」という判断ができる。会社でも「次の事業展開」を踏まえての判断であるかないかは、目先の問題に対する意見ではっきりとわかる。

 人の発言からはいろいろなことが感じられる。十人十色で人の意見はさまざまである。そしてそれはその人の性格にもよるが、またそれはその発言の寄って立つところにもよる。どこを見ての発言なのか(目先なのか未来なのか、誰が話しているのか等々)、表面的な意見の内容だけでなく、そういう部分にも目を向けることによって、発言の意図が見えてきたりする。そんな背景事情もよく考えながら、相手の発言を聞いていきたいと思うのである・・・


MichaelGaidaによるPixabayからの画像 

【本日の読書】
 



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