「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」
ヨハネによる福音書
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週末の巣ごもりも4週間目を迎えた。東京都ではなんとなく感染者数が減ってきているように思われるが、まだまだ続くのであろう。通勤電車はすっかりガラガラ。もともと時差通勤をしているようなものだが、行きも帰りもこれだけガラガラだと座れる時間も長くなり、不謹慎だがこれはこれで続いて欲しいというのが正直なところ。一応、中小企業なりに時差通勤、在宅勤務を一部の社員で行なっているが、その実態は休暇でありいろいろと支障は出ているのは致し方ないところだろう。
勤務先のある蒲田駅周辺は、いつもは賑わっているが、このところずっと閑散としており、繁華街から人がいなくなっているのはニュースを見るまでもなく事実である。一方で周辺の小さな商店街の方がむしろ人出が多かったりするのは、なんとなく皮肉めいている。この時期、売り上げが伸びたとしても大っぴらに喜ぶわけにもいかないだろうが、そういうことがあってもいいのだろう。逆に休業しているところは大変だろうなと思う。我が社が直接的な影響がないのはまったく幸いである。
大阪では休業要請に従わないパチンコ店に対し、大阪府が店名公表に踏み切った。6グループのうち2グループは慌てて休業に切り替えたが、4グループは無視するようである。休業に切り替えた2グループは、公表などブラフだとタカをくくっていたのだろうか。それなら最初から休業すればいいのに実にみっともない。逆にそれでも営業を継続するところはどんな判断なのだろうかと興味深い。背に腹は変えられない事情があるのだろうか。パチンコ店は結構経営が苦しいものだというのは、銀行員時代にいろいろと担当していて知っているだけにそんなことも考えてしまう。
こういう時に、要請に従う方がいいに決まっているが、従わないのも勇気がいると思う。それにしても営業を継続するとしても、そこには「利用者がいる」という事実があるのも確かである。開ける方が悪いのか、利用する方が悪いのか。こういう時期にパチンコに行く人はたぶんあまり公共心などないのであろう。「自分が良ければ」という考え方だろうし、そういう人を相手に商売して何が悪いと考えて営業しているのだろう。営業を自粛したところで、それで倒産しても誰も助けてはくれないだろう。
政府も休業補償をいろいろと考えているだろうが、それで充分かという問題もある。それにパチンコ店はただでさえ白い目で見られているところがある。日銭商売という商売柄、営業を再開したら在庫を売ればいいという商売と違って、休んだ日の売り上げは永久に取り戻せない。単に少しでも儲けてやろうという金の亡者的な理由よりも、懐が厳しいという事情のような気がする。世間的には「パチンコ店けしからん!」という雰囲気があるが、少し踏み込んで事情を知りたいと思う。パチンコ店は高い機械を買って営業しているところがあり、新しい機械を次々に導入するために資金繰りは大変だったりする。そういう苦しい事情があるかもしれない。
仮に儲けだけが目的であったとしても、企業は存在するだけで社員に給料を払わないといけない。資金を借りて投資をしていれば毎月返済もある。自粛要請を無視するパチンコ店を非難するのは簡単だが、それは例えばコロナ騒動が治るまで給料をもらえなくてもいい、売り上げがゼロでもいいという人だけが非難することができるのではないかと思う。むしろ、利用する人をこそ非難すべきだろう。利用者がいなければ営業していても害はないのだから。「開いているから」というのは理由にならない。少しぐらい我慢できないのかと思う(我慢できないし、したくないのだろう)。
それにしても日本の場合、「非常事態宣言」と言っても、中国をはじめとした海外諸国に比べると強制力という点では弱いらしい。だからもっと強制力のある制度をという意見もあるようだが、それが良いのか悪いのか。中国は論外としても、強制力の強い制度があるということは、「そこまでしないとダメ」ということと表裏一体とも言える。「自粛」できないから強制力を伴わせているのである。となれば、強制力のない「非常事態宣言」は誇らしいとも言える。完璧とは言えないが、我が国にはそれだけの自粛力があると考えたい。
【今週の読書】
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