先日、友人Yから何気なく聞かれたことにちょっと驚いた。それは私と友人Sしか知らないことだったからである。Yが知っていたということは、当然Sが教えたということである。別に秘密にしていたことでもなんでもないので、Sが話したことについて特に文句があるというわけではない。しかし、そうベラベラ人に話すことでもないと思っていたので、話すこと自体、ちょっと引っ掛かっただけである。考えてみれば、Sはもともと口が軽いだけに、話したこと自体それほど驚くことでもない。
口が軽いかどうかとなると、私は固い方だと思う。もともとおしゃべりではないというところもあるが、「ここだけの話だけど」とか、「内緒にしてほしい」と言われたら絶対にしゃべらない。「ここだけの話」だったはずが、いつの間にか広まってみんなの知るところになっても、約束したのであれば、私は最後まで知らないフリをする。歯を食いしばって秘密を守るなんて大げさなものではないが、軽い約束であったとしても相手との信頼関係もあるし、そこはきちんと守るのである。
では、そんな自分からしたらSのような人間は許せないかというと、そんなことはない。そもそも人に秘密を守らせるなんて無理だと思っているし、それを強いることも無理だと思っている。本当に人に知られたくないのであれば、自分以外に漏らしてはダメだと考えている。どんなに口が固い人であろうと、そういう人に「秘密を漏らしている時点」で、人に秘密を守らせることはできないだろうと思うのである。自分でもできないのだから、人ができなくても当たり前だろう。
先の事も、そんなわけでSに口止めしていたわけではない。したところでSが黙っているかどうかはわからないし、もしも口止めしていてSがしゃべったのなら、もう友だちづきあいはできなくなる。そしてその時になってSを責めるのも酷だと思うからである。もしも本当に人に知られたくないのであれば、そもそも自分もSと付き合わなければいいのである。およそ人と何かを共有すれば、それは自ずとそれ以外に広まるものと考えておかないといけない。そう考えておけば、人を責めることにもならないだろう。
人はついつい得意になって話したくなるものだろうと思う。特に自慢してもいいようなことであればなおさらである。自分だけが知っているというのも、なんだか「特権」的で甘美なものである。ついつい話したくなる気持ちもよくわかるが、自分はあえて言わないでいる。「実はあの人過去にこんなことがあったらしい」と聞いても、自分は決して本人にそれを言うことはない。口止めされたわけではなくとも、本人が言わない以上は黙っている。
とは言うものの、私も秘密以外は口が軽いところもある。特に人と議論になった場合、言いたいことは全部言わないと気が済まないところがある。だからしばし言いすぎるところがあって、あとでよく反省している。議論になった場合など、相手に少し逃げ道を用意していた方があとあとシコリも残らなくていいものである。完全に論破するのは気持ちのいいものであるが、言い負かされた方は面白くないと言う気持ちが残る。そのさじ加減が私には難しい。
「人の口に戸は立てられない」とはよく言ったものだと思う。自慢話や自分だけが知っているあんな事こんな事をを人に話すのは気分がいいことである。それをぐっとこらえるのは逆にストレスになる。それでも自分がSとつきあう時は、「秘密を共有できない相手」として付き合うことになる。初めからそう言う相手だと思っていれば、あとで恨む事もない。そういう相手は「そういう相手」なのである。自分が人からそう思われたくないから、自分は頑なに口を閉ざすのである。
【今週の読書】
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