1月6日の産経新聞に櫻井よしこさんの「八方塞がりのエネ政策」という意見が掲載されていた。主としてCOP25による環境対策で脱炭素が世界の主流となる中、日本が対応できていないというものである。その原因は、原発の利用について原子力規制委員会と電力業界の未来展望の見えない姿勢だとしている。過剰なまでの安全対策に時間とコストをかけ、なおも稼働に及び腰であると批判したものである。
櫻井よしこさんの意見は、きわめて保守的で総じて賛同できるものが多いが、こと原発についてはどうにも賛成できない。安倍総理の自民党についても、原発推進スタンスだけには賛成できないでいる。「日本に原発は必要か否か」という問題については、「必要か否か」なんて議論しても仕方のないことで、「コントロールできないものを扱うべきではない」というのが私の基本的な原発反対理由である。
櫻井よしこさんは、川内原発を取材したということで、「過剰ともいえる世界最高の安全対策を実施している」としている。その詳しい内容はわからないが、航空機テロでも大丈夫であり、それどころか隕石の落下や航空機事故などほとんどあり得ないリスクに過剰に備えることを疑問視している。それは確かにその通りかもしれない。ただ、どの程度のリスクを想定しているのだろうかという疑問はどうしても残る。
日頃の感覚から言うと、我々の場合、過去の事例を想定することは得意であるが、想像力を働かせて「前例のない」想定は苦手であるというイメージがある。特に「前例踏襲」はお役所の専売特許と言ってもいい。「9.11で航空機テロがあったから航空機テロ対策を取る」のではなく、「こんなことが起こるかもしれない」と想像してリスク対策を取るのである。実際にはそうなされているのかもしれないが、記事からそれは伺えない。たとえば、「リスク対策を熟知した職員による意図的な暴走行為」にはどう対処するのだろうか。是非知りたいところである。
それはそうと、櫻井よしこさんも自民党も経済的・環境的な理由から「原発が必要だ」と主張している。そして安全を声高に主張する。だが、その安全対策で語られている対象は「原子炉」で、私が原発で一番問題だと考えている「使用済み燃料棒」の問題にはなぜか触れていない。原発は稼働している時が危ないのではなく、実は停止した後も危ないということは福島で明らかになったのに、である。現在、使用済み燃料棒は、「プールに入れて」保管しているという極めて危なっかしい保管方法である。しかも、冷却後は地下に埋めるとしているが、その場所すら決まっていないらしい。
そんな状況で、環境や経済性を理由に再稼働を主張するなんてどうかと思う。福島の廃炉すらままならないのに、そういった「環境性」やそれに対する費用を含めた「経済性」でどうかという議論をしてもらいたいと思う。危険な放射能を何百年も発し続ける燃料棒を「プールに入れるだけ」で「最終埋め立て地のコンセンサスも取れていない」状態で、「福島の事後処理もできていない」のに、でも「原子炉は安全だから」という理由で再稼働すべきという考え方が理解できない。櫻井さんもそういうところをコメントしてもらいたいと思う。
現在の原発について、「トイレのないマンション」とたとえる例もある。言いえて妙だと思う。繰り返すが、「人類は原発を完全にコントロールできていない」のである。原発が必要云々を主張するなら、まず使用済み燃料棒の処理をきちんとできるようになった上でするべきだろう。ゴミの処理もできないのにゴミを出しても大丈夫というのは如何なものかと思う。ただ、その処理にしても、今の地中深く埋めるというのではなく、放射能除去までできるのが必要だと私は思う。COP25の必要性も理解できるが、それはあくまでも「使える技術」を前提にすべきだと思う。
櫻井よしこ氏は、舌鋒鋭く原子力規制委員長の安全重視スタンスを批判する。規制委員長に対し、「お前は神か」と辛辣である。原発が停止している間、どれだけ国民の税金が無駄に使われているかと批判するが、そんなことは福島を片付けてから言って欲しい。前例踏襲の安全対策で良しとして(福島の原発は事故前、過去最大級の津波でも大丈夫だと胸を張っていた↓)、世界最高の安全対策と言われても片腹痛い。
【参考】
〜原発事故後、慌てて削除された福島原発の津波対策〜
津波への対策
原子力発電所では、敷地周辺で過去に発生した津波の記録を十分調査するとともに、過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーションにより評価し、重要施設の安全性を確認しています。また、発電所敷地の高さに余裕を持たせるなどの様々な安全対策を講じています。
【本日の読書】
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