先日のこと、ふとした会話の流れで、「大学では第二外国語は何を選択していたか」という話になった。ドイツ語やフランス語という回答が多かったが、私の回答はロシア語であった。「なんでまたロシア語?」とちょっと驚かれたが、私としてはごく自然な選択としてロシア語を選んだのである。そもそもは二次試験の願書を出願するときに選ぶようになっていたのであるが、そこには「ドイツ語」、「フランス語」、「中国語」、そして「ロシア語」となっていたのである。
大学の学部は法学部であったが、学部生として法律の勉強も楽しみな一方、もう1つ楽しみだったのが「第二外国語」である。それまで英語の授業はあったが、それ以外の言語についてはほとんど知らず(「ジュテーム」“Je t'aime”くらい程度だっただろうか)、英語以外の言語はどんなものだろうかと、それだけでも興味津々であったのである。選択肢は4つしかなかったから「ロシア語」を選択したのであるが、もしなんでもいいとなっていたら、たぶんアラビア語を選んでいたと思う。それはやっぱり映画『アラビウのロレンス』の影響である。
それでもなぜ4つの中からロシア語だったのか。深い意味はなかったが、当時は英語以外というと、ドイツ語かフランス語がメジャーで、中国語とロシア語がマイナーという感じであった(今であれば中国語を選択する学生も結構増えているかもしれない)。そんな雰囲気の中でロシア語を選択したのは、やっぱりアマノジャッキーな性格から「人の行かない道」を選んだと言える。当時(1985年)は、まだ東西冷戦下のソ連の時代。そんな中でロシア語を選ぶ学生は超マイナーな存在であった。
始まったロシア語の授業は二種類。一つは文法系で日本人の講師、もう一つは会話系でロシア人が講師であった。ロシア語は、文字がアルファベットと同じものを使うものもあるが、基本的には異なる。“Спасибо”(スパシーバ=ありがとう)のようにアルファベットではない文字を使うので、まずはその文字を覚えないといけない。さらには同じでも読み方が違ったりする。ロシア語のСは、アルファベットではSといった具合である。「おはよう」とか「こんにちは」とか基本的な挨拶があり、やっぱり語学はこんな感じで学び始めるんだなと新鮮に思えてものである。
日本人の講師の方には、一度ロシア料理の店に連れて行ってもらったことがある。ピロシキなんかを食べたが、語学を学ぶことは文化を学ぶことでもあり、文化を学ぶには食は一つの手段である。ドイツ語やフランス語だったら、多分学生数も多かっただろうから、こんなことはなかっただろう。また、ロシア人講師の時は、しばし喫茶店に場所を移したものである。ただでさえ少ないのに、授業に出てこない者も多かったのでそんなこともできたのだろうと思う。
ロシア人講師は年配の女性。どういう背景があるのか、授業ではほとんど日本語を話さず、したがって雑談もできなかったからよくわからなかったが、今でも興味がある。もう名前も忘れてしまったが、恰幅のいい女性だったのは覚えている。ちなみに誰かが言っていたが、ロシアの女性は若い頃はみんな細くて美人だが、年を取るとみんな関取のようになるとか。あの講師の女性も若い頃はどんなだったのか、とクラスメイトと想像していたものである。
そんなロシア語の授業は面白かったが、一般教養課程の2年間でおしまい。授業には真面目に出席していたから、3歳児くらいのレベルにはなったと思うが、いかんせんその後全くやっていないので、今となって1歳児くらいになってしまっていると思う。それでも聞けばそれがロシア語だというのはわかるし、映画を観ていればロシア訛りの英語だというくらいはわかる。語学は使えるようになるには、ある程度集中して覚え込まないとダメだと思うが、週1、2回のレッスンではそんなものかもしれない。
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