先週末、母を連れて父の実家へ行ってきた。場所は長野県諏訪郡富士見町。山梨県との県境にある小さな町である。父の実家なのに父は行きたくないと言い、母だけを連れて行くというのも何だか不思議なものであるが、義理の伯母から自家製の野沢菜をもらうという大目的があったこともあってのものである。伯父夫妻と数時間おしゃべりをして墓参りをしただけの滞在であった。
父はこの地で生まれ、中学を卒業するまでここで育った。先祖代々の土地というよりも、どうも曾祖父の代あたりにどこかから移ってきたらしい。そのためか随分と苦労したという話である。その曾祖父は桶を作っていて、その頃は「桶屋」と言われていたらしい。祖父の代になっても貧しかったようで、父は中学を卒業して東京で就職するまで、白米は年に一回しか食べたことがなかったらしい。東京に出てきて毎日白米を食べてるようになったら、「気持ち悪くなった」と今でもよく語っている。
立退き問題が暗雲を投げかけている我が実家であるが、父は「田舎に帰るのも悪くはない」とよく話している。82年の人生のわずか15年しか暮らしていないはずの実家なのに、それでもまだ故郷はいいようである。そんな父の実家についての私の最古の記憶は、たぶん4~5歳くらいの頃のものだと思う。両親に連れられての帰省だったと思うが、その頃にはまだ厩があったのを覚えている。厩と言っても、西部劇に出てくるような独立した建物ではない。家の中に厩があるのである。今の感覚からは想像もできないが、衛生観念の違いと、それだけ馬が大事にされていた証だったのかもしれない。
そんな家族の一員のような馬の背に初めて乗せられた時の記憶は強烈に残っている。なによりもそれは楽しいというよりもその高さにビビった記憶である。その厩の記憶はその時だけで、小学生の頃はもうなくなっていた。その次の思い出は豆腐の美味しさである。近所で売られていたものであるが、醤油をかけるだけなのにメチャクチャ美味しくて、行くたびに(行く前から)リクエストしていたものである。今は厩のあったあたりはキッチンになり、豆腐屋はなくなっている。
母と伯母のおしゃべりに飽きて近所に散歩に出た。祖父母とこの世に生きて生まれることのなかった姉の墓参りをし、付近を散策する。寒さもあってか、道行く人はほとんどなく、時折車がいずこかへと走り去るのみ。明らかに空き家となって久しい家は、否応なしに人口減少社会を実感させられる。かというと、真新しい家もチラホラあってちょっとホッとする。近所を流れる小川は、そう言えば子供の頃に初めてホタルを見たところでもあることを思い出した。
伯父がかつての「千ヶ沢災害」として話してくれたのは、昭和34年頃に実家から歩いてすぐの川で起こった災害である。川と言っても当時も今も川幅わずかの川であるから、俄かには信じ難い。突然の出来事で、18人が犠牲になったらしいが、当時24歳の伯父はその時祖父と共に川の様子を見に行ったという。そんな歴史もこの地域には残っている。単なるおしゃべりではあったが、そういう話を聞く機会もあまり残されていないのかもしれないと思ってみたりする。
【本日の読書】
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