2018年9月10日月曜日

仕事に必要なもの

個人的な考えであるが、仕事に必要なものは何かと聞かれたら、「熱意」「創意工夫」「決定」と答えるだろう。3つ目はその時々で変わったりするが、最初の2つはもうずっと変わらぬ信念である。これがあれば、少なくとも仕事をしていく上で「使えないヤツ」と烙印を押されることはないと思う。逆にその仕事ぶりがどうしても今一歩だと感じられる人には、これが決定的に欠けていると思うのである。

最初の「熱意」は、およそ仕事でもスポーツでも何でもそうだと思うが、最大の原動力であると思う。「熱意無くして進化も発展もない」と言い切っていいと思う。朝、9時までに出勤するのが会社のルールだとしたら、ギリギリに駆け込むか、1時間早く行って働き始めるか、その差を表すのは「熱意」だ。私も学生時代はラグビー部のグラウンドに練習時間の1時間半前に行って、一人黙々とベンチプレスをやったものであるが、これも「熱意」である。「やる気」と言ってもいいし、「Passion」と言ってもいいだろうが、5時に仕事を忘れて遊びモードになるか、風呂の中でも仕事のアイディアが湧くか、それはすべてこの熱意=やる気=Passionのなせる技である。

そしていくら「熱意」があろうとも、闇雲に突進しても意味はない。朝1時間早く出勤しても、机に座ってぼうっとしているなら意味はない。今自分は何をすべきなのか。それはどうやったらできるのか。どうやったらより効率的にできるのか。「考えて」仕事をしないと意味はない。「努力は量ではなく質」と言ったのは、元ジャイアンツの桑田投手である(『心の野球』)が、要するに「考えてやる」ことが重要であることを言っている。「創意工夫」は、まさに「考えること」そのものである。

「熱意」を持って仕事に取り組み、「創意工夫」によってそれを進めて行ったら、最後は「決定」である。実はこれができない人が多い。ちなみにこの「決定」は「権限」とは関係ない。よく「俺には決定権がないから」と言い訳をする人がいるが、決定権限は関係ない。なぜなら決定権限などなくても権限のある人を動かして決定してもらえばいいからである。そしてそのためには、自分の仕事について、「こうするべき」と「決定」することができないといけない。「自分はどうしたいのか」、「組織としてどうあるべきなのか」、これを自分なりに決めていないと、何より説得力を持つことができない。

銀行員時代には、いろいろな上司に仕えたが、優秀な方もいたしそうでない方もいた。そうでない方の共通した特徴は、「決断できない」だ。そういう人は、まず自分なりの考えを持てないでいる。だから自分なりの判断基準がなく、判断基準は「(自分の)上司がどう判断するか」になっている。だからそれを忖度し、迷う。間違えない判断をするためにはどうしたらいいかわからないから、結局最も無難な考えを取る。「前例踏襲」などその最たるものである。優秀な人だと、面白いと思ったら自分でリスクを取った上で「やってみろ」と言ってくれる。サラリーマンは上司を選べないし、サラリーマンは必ずしも能力だけで出世していくわけではない。「決断」できない上司に当たってしまうと苦労することになる。

「熱意」を持って仕事に取り組めば、必然的にいろいろとアイディアも湧く。そうしたアイディア=「創意工夫」をした上で、自分が思う通りに「決めて」進められれば仕事も楽しくなる。楽しくなれば、それがまたモチベーションをアップさせ、「熱意」もまた高まる。そういう循環に入れると、仕事もますます楽しくなる。「決定」するということは、責任が生じることにもなるが、その責任感こそが次のモチベーションとも言える。

朝、決められた時間に来て、いつも同じ時間に退社する。言われればやるが、言われなければやらない。自分の考え方で仕事を進めて壁に当たるとそこで止まってしまう。「どうしたらできるだろうか」と考え抜くことをしないから、そこから進めない。誰かの指示を待って止まってしまう。それで責任からは解放されて気楽だろうし、それはそれで一つの考え方だと思うが、「熱意」のある者が後から来たら、「創意工夫」と自ら「決定」して仕事を進めていかれたらたちまち追い抜かれてしまうだろう。

 そろそろ自分もいい歳だし、若い人に仕事の心得など聞かれることがあるかもしれない。そんな時に、おろおろせずに迷わず語って聞かせられるようにしておきたいと、自ら思うところをまとめてみたのである・・・





【本日の読書】


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