2017年6月25日日曜日

論語雑感 為政第二(その4)

子曰。吾十有五而志于學。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲。不踰矩。
()(いわ)く、(われ)十有五(じゅうゆうご)にして(がく)(こころざ)す。三十(さんじゅう)にして()つ。四十(しじゅう)にして(まど)わず。五十(ごじゅう)にして天命(てんめい)()る。六十(ろくじゅう)にして(みみ)(したが)う。七十(しちじゅう)にして(こころ)(ほっ)する(ところ)(したが)いて、(のり)()えず。
【訳】
先師がいわれた。私は十五歳で学問に志した。三十歳で自分の精神的立脚点を定めた。四十歳で方向に迷わなくなった。五十歳で天から授かった使命を悟った。六十歳で自然に真理をうけいれることができるようになった。そして七十歳になってはじめて、自分の意のままに行動しても決して道徳的法則にそむかなくなった。
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今回の言葉は、おそらく論語の中でも最も有名な言葉だろう。中でも「四十にして惑わず」は、「不惑」という言葉として定着している。時代が違うから同じような比較はできないかもしれないが、それでも考えてみるべきことはあるのかもしれない。そう思って、改めて考えてみた次第である。

「十五にして学に志す」とは、多分「学問の世界に生きる」と決意したことだろうと思う。将来の進路を決めたことだろうし、それはすなわち「職業の選択」に他ならないだろう。現代日本では、義務教育を終える頃で、そろそろ将来のことを考え始める時期である。まぁ時期としては同じだと言えるが、自分自身を振り返ってみても、また今まさに迷いの森に迷い込んでいる高校生の我が娘を見ても、この時点ではっきりこれと決めるのは難しいかもしれない。今の日本には、猶予の選択肢がいろいろとあるし、今の日本社会でいけば「二十二」くらいなのかもしれない。

有名な「四十にして惑わず」は、今日のお昼に何を食べようかと言った些細な問題ではなく、もっと根本的な、自分の生き方についてのようなことだろう。この年頃になると、自分の行く末のこととか、家族のこととか、住居のこととかいろいろと迷う要因はたくさんある。ただ、根本的な「考え方」という意味では、もう固まっている気がする。私自身で言えば、当時勤めていた銀行での行く末がある程度見えてしまっていて、先々しがみつくより転職しようと考え準備を始めていた頃であった。そしてそれは、実際に転職した今、役立っている。その時の「決断」は早かったし、迷いはなかったのも考え方が固まっていたからだと思う。

迷わなくなれば、自分がやってきた事をある日ふと振り返り、「あぁこういう事だったのか」と思う事があるかもしれない。まさにそれが「天命」なのかもしれないが、五十を超えた今もそうした天命に気がつく気配はない。まだ人間修行が足りないのかもしれないし、天命と言えるような事を一貫してやっていないのかもしれない。どうなるのかはわからないが、「これが天命だ」と人様に語れるようになるためには、背筋を伸ばして生きていないといけないと思うので、それは意識したいところである。

その先に「耳従い」、さらに「心の欲する所に従えども矩を踰え」ないようになれるのかはわからない。ただ、何となく目の前の事象を受け入れる心理はわかるような気がする。人間悩んでもどうにもならないこともある。それが相手のある事なら尚更であり、自分が長年理想としてきた状況から否応なく遠ざかることもあるだろう。それはそれで仕方ないと受け入れるのである。若い頃は、何とか努力して、あるいは知恵を絞って何とかならないものかと奮闘するが、ある程度の年齢を経ると、それを受け入れられるようになるのである。結婚生活などはその最たるものである。

若い頃は、目の前に無限の選択肢と未来がある。それがゆえに、無限の選択肢を前に呆然と立ち尽くすが、時を経て自分自身も様々な経験を積み、そして考え方も確立して行く中で、気がつけばいつの間にか己の歩いてきた道が一本の道となっている。そんなイメージだろうか。孔子が当時としては異例の長寿を全うしながら辿り着いた境地を理解しようとするのは難しいのかもしれない。自分自身とすれば、天命どころかいまだ不惑にすらたどり着けていないのかもしれないと思ってみたりもする。これから先、残りはいよいよ少なくなって行くわけだし、改めて悔いなく日々を過ごしていくためにも、迷わず進めるようなしっかりした考え方を身に付けたいものだと思うのである・・・





【今週の読書】
 
 


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