有子曰。其爲人也孝弟。而好犯上者。鮮矣。不好犯上。而好作亂者。未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者。其爲仁之本與。
有子曰く、其の人と為りや孝弟にして、上を犯すを好む者は鮮し。上を犯すことを好まずして、乱を作すを好む者は未だ之れ有らざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁の本為るか。
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論語といえば孔子というイメージがあるが、実は弟子の言行も多い。これは、有子という弟子の1人の言葉。およそ目上の者に従順な者は、社会を乱すような者にはならないという趣旨である。かつての社会は、長老が権威を持っていたところが多いと思う。それは知識経験が蓄積された者が、判断力に優れているという理解であろう。腕力ベースであれば長老は早々に淘汰されてしまう。そうならないのは、人間社会が「知識」を重視してきたからに他ならない。
有子曰く、其の人と為りや孝弟にして、上を犯すを好む者は鮮し。上を犯すことを好まずして、乱を作すを好む者は未だ之れ有らざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁の本為るか。
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論語といえば孔子というイメージがあるが、実は弟子の言行も多い。これは、有子という弟子の1人の言葉。およそ目上の者に従順な者は、社会を乱すような者にはならないという趣旨である。かつての社会は、長老が権威を持っていたところが多いと思う。それは知識経験が蓄積された者が、判断力に優れているという理解であろう。腕力ベースであれば長老は早々に淘汰されてしまう。そうならないのは、人間社会が「知識」を重視してきたからに他ならない。
そういう社会において、目上の者を敬う心を持っていれば、それは浅慮を持って失敗することも少なく、うまくやっていけるということであろう。そしてそういうルールを守る者であれば、社会を乱すようなこともしないということであろう。今に至っても真実であると思う一方、当時からすれば遥かに進んだ現代では、「年齢」を判断基準とすることが合わなくなってきている。例えば会社では、「年功序列」制度が崩壊していて、「年下の上司、年上の部下」が珍しくない。
それは、当時はなかったであろうスポーツの世界ではとっくの話であり、私が大学に在学していた30年前でも、すでに大学の体育会ラグビー部では、当たり前のように「実力主義」であった。自由な気風の国立大学だったからか、体育会と言ってもそんなに上下関係は厳しくなかったが、それでも学年による秩序はあったし、にもかかわらずレギュラー争いに学年は無関係だった。
社会でも「成果主義」などが浸透してきており、もはや年齢が上だからといって地位も給料も上になるということはない。個別のケースでは不満もあろうが、これ自体誰もがやむを得まいと思っているだろう。だが、そんな中にあっても、やはり「年齢」は一定の重みを与えられている。私の元勤務先の銀行でも、年下の上司はうまく謙って年上の部下を使っていた。
それはやはりテクニカルに部下をうまく使おうとする工夫だということもできる。いくら上司だからといっても、年上の部下を頭から怒鳴りちらすような人はなんとなく周りから見ていて不快な気分がしてくる。怒鳴られた部下も、年上の上司に怒鳴られるよりも屈辱感が増す。そんな上司が、うまくチームをまとめて仕事ができるだろうかと思う。言葉丁寧に相手のプライドを傷つけることなく、意図した仕事をしてもらえれば、それこそ上司の成果につながるだろう。
実際、ある一定レベルを超えると、年齢の持つ意味はほとんどなくなってくる。年上でも間違えるし、論理的に話ができなかったりするし、新しいものについていけなかったり、古い考え方から脱却できなかったり。先日読んだ『ミライの授業』でも、パラダイムの変換には世代交代が必要だと説明されていたが、年齢・世代の対立も不可避である。そんな中で、対立を和らげスムーズに意見を通そうとすれば、長幼の序を守ることは大事なことである。
考えてみれば、これは「上の者にはうまく立ち振る舞え」という年下の者に対する戒めだと言える。下の者からすれば理不尽に感じるかもしれない。しかし、社会には一定の秩序が必要であり、広くあまねくその基準を求めるとしたら、誰にも公平な「年齢」が一番適していると思われる。みんなが守る基準がしっかりしていれば、その社会はその部分で安定する。誰もが目上の者に敬意を払う社会は、やっぱり誰にとっても心地良いに違いない。
有子の教えは今なお真実であり続けている。これからますます年をとることだし、腕力では勝てなくなるし、それでも居心地良い社会であってほしいし、ずっとこれが揺るぎない真実であり続けてほしいと思うのである・・・
【本日の読書】
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