よくプロセスが大事か、結果が大事かという議論を聞く。
プロであれば結果が問われるのは当然で、したがって「頑張ったけれどダメでした」というのは認められないというのもそうであろう。
「結果には至らなかったが、頑張った過程を認めてほしい」というのは、結果が出せなかった人の言い訳であるパターンだろう。
だが、「プロセスは関係なく結果がすべて」と言い切ってしまうのにも抵抗はある。
どちらが大事かと問われると、一概には言えないと考えている。
例えばプラモデルは結構好きであるが、作る過程は実は嫌いである。
欲しいのは「完成品」であって、できれば完成品を買いたいところだが、それがない場合がほとんど。だから「やむなく」組み立てている。
逆にジグソー・パズルも好きだが、これは作る過程が好きなのであって、完成したらもう興味はない。だからネットでできるジグゾー・パズルが登場するまでは、「完成品」の置き場に困るためむやみに買えないという悩みを抱えていた。
例えは違うかもしれないが、結果もプロセスも、どちらにもそれなりに理由はある。
結果が出るとわかっていれば、どんなに大変なプロセスであっても耐えられる。
だが、どうなるか分からなければ、その過程は精神的にもきつい。
受験勉強しかり、仕事もしかりである。
中小企業に転職した現在、安定した未来は見えていない。
ただまだ見えない水平線の向こう側にあるものを信じて、目の前の大波小波を乗り越えているだけである。この方向で間違いはないはずと信じているが、誰もそれを保証してくれない。
波にのまれて海の藻屑となった場合、誰もよく頑張ったとは言ってくれないし、生活の面倒を見てくれるわけでもない。
そういう意味では、「結果がすべて」である。
ではだからと言って、プロセスは関係ないかというと、それは違う気がする。
やるだけやったプロセスは、どこかで何かの形となって現れてくると思う。
娘も今は受験の真っ最中。
結果はどうなるかわからないが、親の目から見てよく勉強していると思う。
そのプロセスを見ていると、たとえ希望校に入るという結果が出なくとも十分だと思う。
我が子に関しては、「結果よりプロセス」だ。
プロセスがしっかりしていれば、それはいつか自分自身の生きる力となって、目先の結果ではない「結果」につながると考えている。
そう考えると、プロセスが充実していれば、それはいつかどこかで何かの「結果」に結びつくものなのかもしれない。
目先の「結果」にはつながらなくとも、いつかどこかで「結果」に結びつくかもしれない。
だが、目先の結果だけ追い求めていてプロセスを怠っていると、それは「目先の成果」だけに終わるのかもしれない。
だが、目先の結果だけ追い求めていてプロセスを怠っていると、それは「目先の成果」だけに終わるのかもしれない。
結局、重視すべきは、長い目で見た時は「プロセス」と言ってもいい気がする。
少なくとも、子供達に求めるのは「結果ではなくプロセス」である。
少なくとも、子供達に求めるのは「結果ではなくプロセス」である。
そう信じて、自分自身の今のプロセスを楽しみ、娘のプロセスを応援したいと思うのである・・・
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