2015年10月28日水曜日

ネクタイ

 仕事で外出をした。なかなかの好天気で少し暑いくらいの1日であった。このくらいの陽気だと、外出も気持ちがいいが、もうまもなくコートの襟を立てて歩くようになるのだろう。

 さて、そんな電車の中で、ふと気がついたのだが、ネクタイを締めていないサラリーマンが多い。そういう自分は、今月からネクタイを締めているのだが、世間的にはまだクールビズ期間であることに気がついた。取引銀行の行員さんも、ノータイでやってきた。5月からのクールビズ期間もいつの間にか半年になっている。いつの間にか、1年の半分はネクタイがいらなくなっていなる。

 これがいいのか悪いのかと言えば、やっぱり歓迎すべきことだろうと思う。そもそもよくよく考えてみれは、ネクタイというのもおかしなシロモノだ。機能的には何の役割も果たしていない。唯一の役割と言えば、「見栄え」だろう。ネクタイを締めている相手は、していない人と比べると、やっぱりしっかりして見える。

 それに、締める方からすれば、気分的なものがある。朝、髭を剃ってネクタイを締めると、「さぁ仕事だ!」という気分になる。そういえば、社会人になりたての頃は、なかなか思うように締められないのをもどかしく思いながらも、「社会人になった」という自覚を得られたように思う。そんなネクタイだが、この分だといずれなくなる運命なのかと思ってみたりする。

 27年前、銀行員になって最初に配属された支店は、八王子であった。その時まで全く知らなかったのだが、八王子はネクタイの一大生産地であった。近隣のネクタイ製造メーカーの社長が窓口に来て、私のネクタイを見て、「合わないね」とやんわり指摘されたのを今でも覚えている。昨今、製造の海外移転とクールビズとで、一大生産地もかなり生産が減っているようだし、あの時の社長の会社も、もうなくなっているかもしれない。

 そんなネクタイであるが、やはり将来的には無くなっていくのであろうか。長年締めてきたためか、夏場はともかくとして、ビジネスの場では締めていたいと思うところがある。中小企業である我が社には、ドレスコードなんてないから、別にネクタイなどしてもしなくても何も言われない。ただ、やっぱり何となく思うところあって、今月初からネクタイを締めている。結局、ネクタイをする理由は、何となく「しっくりくる」という気分的なところである。

 そんなことをつらつら考えていたら、最近ネクタイを買っていないなと思い至った。特段、何かこだわりがあるとか、おしゃれに気を使っているかとかは全くないのであるが、久しぶりに買おうかなと思ってみたりする。ネクタイ文化が消失しないよう、せめて一助にでもなりたいと思うのである・・・

【本日の読書】
ヴァージン・ウェイ R・ブランソンのリーダーシップを磨く教室 - リチャード ブランソン, 三木 俊哉 逆説の日本史21 幕末年代史編4/高杉晋作と維新回天の謎 (小学館文庫) - 井沢元彦







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