2015年6月3日水曜日

責任感

 「仕事ができる」とは、何をもってそういうのだろうと、ふと考えてみた。いろいろと表面的には言えるだろう。ただ、「仕事ができるようになるために必要なもの」は、となれば、それは間違いなく「責任感」だろう。

 ボランティアで参加している集まりで、先日腹立たしいことがあった。ホームページを作成しようということで、一番詳しい人に担当してもらうことになった。そして一応半分完成し、運用をスタート。1年ほど前のことである。されど残りの半分がなかなか完成しない。「○○が足りない」というから、それを用意した。なのにいつまでたっても完成の兆しがない。そしてとうとう、先日その担当者は作業を投げ出した。

 メンバーもわからないから、全部彼に「お任せ」だったのは事実。されど、いろいろと人に作業をさせておいて、挙句の果てに放り出したのは、どうにもいただけない。しかもそのことに関しては、表面的なお詫びの言葉はあったものの、「メンバーの利用が少ない」、「メンバーで話し合いがなされていない」などという問題点の“客観的な”指摘が続き、さも「自分も悪いがその他の大きな要因が・・・」と言いたげである。

 よくある「できないくせにへ理屈だけは一人前」のデキナイ君の典型である。自分の部下なら、指導して考え方を叩き直すところだが、ボランティアではそうもいかない。
『苦しいこともあるだろう 言いたいこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣きたいこともあるだろう これらをじっとこらえていくのが、男の修業である』(山本五十六)
何と厳しい修業だろう・・・

 自分だったらどうするだろうと考えてみる。まずは初めに全体像からだろう。メンバーに意見を聞いて、目指すものの方向性を統一する。各人に割り振る作業があれば、協力を要請する。極端に各人間の負担が偏らないように調整する。「チームワーク」を意識してやれば、問題点が出てきてもすぐみんなで対処できる。そして、最後どうにもならなくなったら、自分一人で徹夜してでもやり遂げるだろう。彼は土壇場まで一人で抱え込み、そして放り出した。

 メンバーの利用が少ないのなら、メンバーみんなに意見を聞いて回って改善点を議論する。話し合いが必要なら、自分で日程調整して、みんなを招集して必要な意見を引き出す。作業が大変なら、手伝ってもらうことを考える。「問題点がある」と他人事のように言うのではなく、どうやったら解決できるのか我が事として考える。もちろん、「期限」も意識する。自ら主体的に動けば、自ずから道は開けるというものである。

 そうしたものは、積み上げたノウハウ的な要素もあるが、何よりベースは「責任感」だ。「他人事」ではなく、「我が事」としてとらえられているかどうか。そして「自分がやらないといけない」という意識を持てるかどうかである。何事であれ、そういう意識を持って取り組めれば、いずれ大きく成長できるだろう。もはや「成長」などと言っていられない年齢であっても、だ。

 スポーツであれ、仕事であれ、意識の差は重要だ。どんな気持ちをもって取り組むかで、己自身に跳ね返ってくる結果は大きく異なる。自分自身、そういう気持ちでもって取り組んできただけに、今回の彼の残念なスタンスがよけい目についてしまうのかもしれない。改めてどういう意識で物事に取り組むかが、いかに大事かということがよくわかった出来事である・・・


【本日の読書】
0ベース思考---どんな難問もシンプルに解決できる - スティーヴン・レヴィット, スティーヴン・ダブナー, 櫻井祐子 千日のマリア (講談社文庫) - 小池真理子




 
 
 
 

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