「安全保障」なのか「戦争」なのか、同じものなのに異なる呼ばれ方をする法案がいよいよ26日から審議入りするとニュースでやっていた。個人的に関心は高いものの、正直どうなのだろうかという気持ちがある。
そもそも何でこんな法案が出てきたのかと考えると、それはたぶんアメリカの意向なのではないかと思う。世界最大の軍事大国アメリカも、いまや万能ではない。「お金は持ってるお人好し」をうまく利用しようというハラはあるだろう。中韓に絶対覆せない歴史問題で責められ、北朝鮮問題も解決の糸口も見られずにいる昨今、やはりアメリカと良好な関係を維持するのは必至だろう。そうしたわからぬ“裏事情”は置いておき、表面的な部分で判断するとどうなのだろうか。
まず一番物議を醸しているのが、「集団的自衛権」だ。これは反対派が、「戦争に巻き込まれる」と声高に叫んでいる。ただ、例えばの例で説明されていたが、「海外で邦人を救助し、搬送している米軍が攻撃を受けた場合、自衛隊が米軍を守る」というケースは(現実的かどうかは別として)、問題ないのではないかと思う。特に日本は過去イラン・イラク戦争時、テヘランから脱出できなくなった邦人に対し、何もできずにいたところ、トルコが航空機を出して助けてくれたという過去を持つ。「平和」もいいが、こうした「邦人保護」はおろそかにしてほしくない。
一方で、例えば反対派は、「シリアで米軍が攻撃された場合、意図せざる戦争に巻き込まれる」と主張している。一見、正しそうだが、これは歯止めをかければいいような気がする。かつて日米安保改定時も、反対派は「戦争に巻き込まれる」と反対したと言う。だが、その危惧はいまだ実現の兆しもないし、むしろそんな理由で反対したのかと滑稽ささえ感じる。反対論の例としては、いささか説得力に欠けている。
そもそもであるが、法律を作ってそれですべての問題をカバーできるわけではない。例えば同じ銃でも、警官が持つのとヤクザが持つのとでは、まるで意味が違う。要は使い方であり、市民を守るためなら警官が銃を持っても怖くないし、だから一律禁止とするのではなく、警察官だけが銃の所持を認められ、一般の人の所持は「銃刀法取締法」で禁じられている。「警察官によって守られるメリット」と「ヤクザに使われて傷つけられるデメリット」とをうまく調和させている。
これと同じで、「危険な例があるからダメ」とするより、「危険な例を避ける」ようにすればいいのではないかと思考は流れていく。賢い者なら、「デメリットがあるからメリットを諦める」のではなく、「メリットを享受しつつデメリットをできるだけ抑える」とするのが、考えるべき方向ではないだろうか。「意図せざる戦争に巻き込まれる危険性がある」のなら、そうならない仕組みを作ればいいだけではないだろうか。
反対派はいたずらに不安を煽っているだけで、例えば先に挙げた邦人を保護している米軍が攻撃された場合には、どうすればいいと言うのだろう。残念ながら、街頭演説で力説する方も、ネットで安倍総理を鬼畜と批難する人も、その疑問には答えてくれない。
それに安倍総理が批判していた「レッテル貼り」。これもいかがなものかと思う。「憲法改悪反対」は古くから言われているが、「改悪」は誰でも反対するだろうが、「改正」は賛成するだろう。自分と反対だから「悪い」ものと決め付けるのもいかがなものかと思う。「戦争法案」と主張するが、内容は「戦争をするためのもの」ではない。
ビジネスでは、リスクを恐れていては利益は得られないのは当たり前。要はいかに「リスクを回避し」、「利益を享受する」かだ。自分はビジネス・パーソンなるがゆえに、その理屈に従って物事を考える。「リスクがあるからダメ」なんて言っていたら、何もできない。得られる利益と、それに伴うリスクを冷静に比較し、リスクが大き過ぎるならやめれば良い。「戦争法案」と主張する人たちが唱えるリスクは、どうも誇張され過ぎている。
メディアの対応もそれぞれ特徴を表していて面白いが、これからこの法案を巡るニュースが続くのだろう。是非とも反対派には、「まともな」反対論を期待したいものである。それによっては、私は自分の意見を変えることにまったく抵抗はない。野党のみなさまには、頑張って是非国民に届く反論をしていただきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
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