2014年が始った。
個人的に正月の過ごし方は大きく変えたくないと思っている。元旦に家族そろって初詣に行き、互いの実家へ新年の挨拶に行く。今年も当然そのつもりだった。しかし、いろいろと事情もあって、2日から家族と別行動。私は、妻と子供たちを大阪の妻の実家へと送りだした後、一人自分の実家へと向かった。ちょうど2011年のお正月と同じパターンである。
3日には、両親と近所を散歩した。これも2011年のお正月と同じパターンであるが、ただし、今回は前回とは逆方向へと足を向けた。前回は、生まれてから4歳まで済んでいた林試の森公園の周辺。今回は4歳以降、現在の実家へ引っ越すまで約12年間住んだ武蔵小山と西小山界隈である。
最初に行ったのが、小山小学校。
すでに校舎は建て替えられ、私が通っていた頃の面影は、プールと狭くなった校庭くらい。ここだと運動会をやるには狭過ぎると感じる。同じ事は、次に行った荏原六中学校にも言える。
もともと校庭は狭かったが、校舎を建て替えてさらに狭くなった感がある。我が子供たちが通う小学校・中学校の校庭の半分以下だと思う。昔住んでいた家はそのまま。家の前には井戸があって、既に使えなくなっていたが、それもそのまま。今は他人が住んでいるから不可能だが、できれば中に入ってみたかった。
幼稚園はさらに先。
昔の事とは言え、当時は一人でてくてく歩いて通っていたわけである。仕方ないとは言え、子供たちにも幼稚園には一人で通わせたかったと今でも思う。さすがにこのあたりは友達の家も多い。本人が住んでいるかどうかはともかく、表札は変わっていない。酒屋さんをやっていた家が「カクヤス」に変わっていたのには、時代の流れを感じた。
昔、会社をやっていた跡地に、小学校の同級生の立派な家が建っていた。こちらは二世帯住宅で、本人の名前の表札も堂々と出ていた。そうして何人かの同級生の家の前を通った。あの頃毎日のように一緒に遊んでいたのに、もうかれこれ40~45年くらい会っていない事になる。だいぶお互いの境遇も変わっているのだろう。そのうち会って、お互いの境遇をおっかなびっくり確認してみたい気もする。
実家がずっと変わらなければ、こういう散歩にもならなかっただろう。思いがけずに思い出散歩のようになってしまった。今の実家も道路計画で2年後には立ち退きを迫られている。数年後には今の実家の周辺の景色も変わっているだろう。そう思うと、残念な気がする。そのうち、自分達がこの地に住んでいた痕跡などまったくなくなるのだろう。ちょうど、今の実家や自分の自宅の周辺が100年前にどうだったかなんてわからないように。
実家から自宅への帰り道。親父が車で送ってくれた。車中で約1時間、親父は昔話を饒舌に語ってくれた。若かりし頃、母と出会い、結婚に至る経緯。「今あの頃に戻れたら、お母さんとは結婚しない」と親父は言い切る。思わず苦笑してしまったが、みんな同じような思いを抱えているのかもしれないと思う。
過ぎ去った過去は変えられない。未来はどうなるかわからない。誰にもどうしようもないが、せめて日々より良く過ごすようにしたいものである。一年後、ブログを読み返した時に進歩がなかったと思いたくはない。今年一年、「もう一歩頑張る」事をキーワードに毎日を過ごしたいと思うのである・・・
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