2013年3月13日水曜日

それをお金で買いますか2

マイケル・サンデル教授の「それをお金で買いますか」を読んで、いろいろと考えてみた。
この本には、議会の傍聴席や病院の整理券を獲得するために、「並び屋」を使う例が紹介されている。実際に並ぶのはホームレスなどであり、「並び屋」を営む会社は彼らを雇って並ばせ、それを欲する人に売る。並ぶのが嫌な金持ちはお金を払って嫌な事を回避し、ホームレスは収入が得られ、両者を結ぶ仲介会社も潤うという三方良しの商売である。

日本人はかなり平等という事を意識する国民であるからか、この手の話はあまり聞かない。
みんな公平に並ぶのが当然という雰囲気があり、それをお金で買うことを良しとしないところがある。むしろ金にモノを言わせるという行為を低俗な行為ととらえるところがある。
せいぜい予約してあれば優先されるのもやむなしと思う程度であろう。

そう言えばかつてアメリカのユニバーサル・スタジオに行った時、“Front of Line Pass”という行列に並ばずにアトラクションに乗れるチケットを利用した。当然普通のパスより割高なのであるが、できるだけ一度でたくさん体験したい海外旅行者にしてみればありがたいものであった。日本のディズニーランドには、ファストパスがあるが、これは一定のルールで並べばもらえるものである。「金で買う」アメリカと「金で買うのを良しとしない」日本の違いが表れていると思う。

それに連想してダフ屋が浮かんだ。コンサートや何らかのイベント会場の外で、「チケットないチケット?」、「チケットあるよ!」とガラの良くないおじさんたちが声をかけてくるアレである。条例などで禁止されているようであるが、本当のところ違法行為なのかどうかは知らないが、実際には大っぴらにやっている。ダフ屋などからチケットを買おうなどという気にはならないが、かつて一度だけ買おうと思った事がある。

あれは1995年10月9日の東京ドーム。
今や伝説とも言えるプロレスの試合があった。
絶対観に行きたいと思ったが、その日は平日。
銀行員という仕事柄、当時はやたらに休めなかった。
もちろん、そんなに早く仕事は終わらない。
泣く泣くチケットを買うのを諦めていたが、当日になってやっぱり諦めきれず、最後のメインイベントだけでも観たいと思い、仕事が終わってから東京ドームに駆けつけた。

当然当日券など残っているとは思えなかったから、ダフ屋から買おうと決めていた。
値段も構わないと覚悟して行った。そうして何とかまだあと数試合は観られるという時間に東京ドームに着いたのであるが、周りは人気が無く閑散としている。ダフ屋らしきおっちゃんは影も形もない。何とあまりの人気にダフ屋もソールドアウトだったのである。

唯一ダフ屋からチケットを買ったかもしれないチャンスだったが、残念ながら購入には至らず。ただやっぱり時としては、法外な値段を払っても買いたいという事はあるものである。
後日、当日の試合をテレビで観たが、それまで観たいろいろな試合の中でもベストと言える満足度で、当日もし生で観ることができていたら、例えチケットに正規料金の2~3倍の値段がついていたとしても満足しただろう。


日本的な平等の精神はやっぱり良いと思う。
ディズニーランドでは常にファストパスを求めて走り回るのがパパの役目だとしても、それで手に入れられるなら走り回ろうじゃないかと思う。
ただ、やっぱりせっかく行った海外旅行先のテーマパークでは、多少高くても安心していろいろなアトラクションを利用できるチケットがあるならば、お金を出して買いたいと思うし、そういうサービスも悪くはない。混雑した病院では、子供を連れて行った時などは優先して診てもらいたいものだとよく思ったものだ。

お金を出して買えるモノと買えないモノ、売り買いの対象として良いモノとそうでないモノ。アメリカ人と日本人の感覚は異なるが、その異なり具合をあれこれと考えてみると面白い。マイケル・サンデル教授の投げかける問いはいつも面白いとつくづく思うのである・・・

【本日の読書】

四〇〇万企業が哭いている: ドキュメント検察が会社を踏み潰した日 - 石塚 健司 ナミヤ雑貨店の奇蹟 (角川文庫) - 東野 圭吾






0 件のコメント:

コメントを投稿