よく有名人の残した日記が公開されたりしているが、自分はそんな大それた存在でもないし、残して誰かに読んでもらおうなどとも思わない。そう考えてパソコンに保存しているのである。そういう日記は、もちろん後で読み返す事に意味がある。
高校生以後のものは今も手元にある。文章の巧拙はあるものの、テイストはあまり変わっていない。しかしながら、やっぱり10代の“青さ”が滲み出ている文章は、とてもではないが人に見せられたものではない。いつか人生の終わりに身辺整理をする時に、忘れずに処分しないといけない。
人間の記憶というものは、曖昧であり、頼りない。過去に過ごした一日一日はほとんど忘却の彼方だ。しかし、日記に書いてあるとその時の記憶が呼び起こされる事もある。過去の日記を読み返す事は、けっこう面白いものである。
高校生の時に初めて女の子と付き合った。こういう記述は、例え自分のものでも一層興味深い。付き合うに至る過程の心の動きもきちんと書いてある。「若いなぁ」と改めて思う。初めてのデートの時の記憶など、完璧に失われているが、日記にはその時の様子が書いてある。これぞ、日記の効果であろう。
自分でもわりと記録に残す事は好きな方だと思う。映画館に観に行った映画は、小学校6年の時に初めて観に行った「ジョーズ」から、先日観に行った「007 スカイフォール」まで454本に及ぶ。読書はさすがにすべての記録はないが、それでも2005年からはすべてある。近年はブログにして残してあるが、もうすでに内容を忘れてしまっているものがあるから、自分の記録として重要だ。
日記の方は、ここ10年ではやはり子供に関する記述が多くなる。それは子供の成長記録でもある。そしてやっぱり仕事についての記述も多い。その時々に携わっていた仕事。同僚に対する意見。その時食べたランチ・・・
くだらない事もあるし、わざわざ人に見せるほどのものでもない。覚え書き程度のものではあるが、その時過ごした一日がそこにはある。年々月日の経過が早くなっていくが、日記にはそんな矢のように過ぎ去った過去が毎日きちんと記されている。当たり前だが、早過ぎる事もなく、遅すぎる事もなく確実に過ごした一日の記録がそこにはある。それを読めば、知らないうちに時間が過ぎてしまっていたという事はないのだと、改めて実感できる。
今度はいつまで続くだろうか。もうろくして書けなくなる時までだろうか。日記にはすべてパスワードがかけてあるから、子供たちが読む事はないし、自分が死んだらそれまでだろう。それで良いと思っている。
せっかくここまで続けたし、毎日寝る前の良い習慣になっている。時間がなくて急いで書いたら、あとで読みなおした時に何かその日は損をしたような気になってしまう。だから、日記は優先的に余裕をもって、書こうと思う。これからも、毎日続けていきたいと思うのである・・・
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