恒例となった大阪への里帰りの前に、妻から段ボール箱とともに娘に出された指令は、「使わなくなるものを処分する事」。教科書なども含めてひとまとめにして処分せよということらしい。妻自身も子供の頃からそうしていたという。曰く、「学年末が(きれいに処分できるから)楽しみだった」らしい。
少し前から世の中は、「断捨離」という言葉がもてはやされていて、「整理ブーム」であるが、妻から言わせると、「何を今さら」らしい。一方、私はと言えば、何につけても「大事に取っておく派」だ。「捨てられない」のではない。「捨てない」のだ。バンバン「捨てる派」の妻とは、当然真っ向から対立する。
新婚当初の事だった。捨てるように頼まれたごみの中に、気がつくと一本のナイフがあった。私が独身時代に使っていた果物ナイフだ。実家を出るにあたって、両親(どっちだったか忘れた)が独身の頃から使っていたという年季モノをもらって使っていたものだ。こっそり“救出”したのは言うまでもない(今でも机の奥底に“避難”させてある)。
独身の頃から新居に持ち込んだ私のもので、こうして処分されたものはかなりある。
もちろん、初めは事前に了解を求められていたわけであるが、何だかんだと言い訳をして“抵抗”していた私に呆れたのだろう、そのうち了解が指示になり、やがてそれもなくなった。
気がついたらない、という事にさすがに鈍感な私も気づいて愕然としたものだった。
とっておいてもどうするというものではない。よく、「1年使わないものは結局とっておいても無駄だ」という事が言われる。私もそれはその通りだと思う。しかし、それらはそれらなりに取っておく理由というものがある。使うとか使わないとかではない。例えればそれは、1年使わないからと言って、辞書を捨てるだろうかという事と同じだ(まあ最近はネットで代用できるではないかというような議論ではない)。「とっておきたい」という気持ち以外にとっておく理由などない。
そうは言っても、さすがの私も何でもすべてとっておくというわけではない。
年末の大掃除の際など、あれこれ選び出しては、「もういいだろう」と捨てるものもかなり多い。それは当然スペースの限界もある。家の中で妻に比べれば、私の所有物が占めるスペースなどささやかなものなのだが、それでもプレッシャーは大きい。私の中で、納得したものから順番に処分していく事になる。
それでもたぶん死ぬまで捨てられないだろうというものはある。
それらはたぶん妻からすればゴミと見なされるだろう。
昔映画館に行くたびに買っていた映画のパンフレット。
史上最高傑作と信じて疑わない漫画「コブラ」。
とっておこうと本棚に並べてある大半の書籍。
だいたいが、その時その時の思いが一緒になって残っているものばかりだ。
人から見ればゴミであっても、私にとってはそうではない。
それはそれで良いと思う。捨てるばかりが能ではない。捨てないでとっておく事のメリットが多いなら、とっておけばいい。「そこにあるという安心感」だって立派なモノの価値だと言える。いつまでというのではなく、いずれこの世を去る時まで、その安心感は大切にしておきたい。まあそれも、子供たちが遺品整理に困らない程度にはしておこうという気持ちくらいはあるのである・・・
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