そうした今、あと何が必要かを考えると、「お金」という答えに行きつく。
よく「幸せはお金では買えない」と言われるが、今の私にしてみれば、「十分買える」と断言できる。「世の中金だ」とまでは言いたくないが、「幸せはお金では買えない」と言ってしまうのもどうかと思う。誤解を恐れずに言えば、「幸せはお金で買える」と思う。
日本には長い儒教の伝統があって、お金というものは卑しいものとする風潮がある。
江戸時代では、商人は一番地位が低かったし、成金や拝金といった言葉は尊敬とは対角線上の先にある。そしてそのわりに、みんな熱心に宝くじを買う。
「欲しいけれど、欲しい振りをしない」のがその実態だろう。
どんなに欲しい振りをしなくても、私から見れば、宝くじ売り場に2時間も並ぶ人たちは金の亡者にしか見えない。
正直言って毎月の収入が、それもあと何万円かのわずかであったとしても、増えれば豊かな気持ちになるだろう。(もっともたぶんそれもしばらくの間だけだと思うが・・・)
旅行に行くときだって、パンフレットをたくさん集めてきて、予算とにらめっこして溜息つかなくてもいいし、家族みんなで映画やコンサートや観劇などにちょくちょく行って、健康で文化的な生活を送れるだろう。老後の心配だってしなくていいし・・・
なんだかそんな程度の幸せで良いなんて、我ながら実に庶民的だ。
もちろん、金で買えるかどうかは、「幸せ」の定義にもよる。
「好きなあの子に想いが通じたら、それだけであとは何もいらない」と思っている者には、当然当てはまらないし、医者に通ってもなかなか治らない病を抱えている人にも当てはまらない。世の中に「買えない幸せ」が多くあるのも事実。
「幸せ」というものが値札を下げて売っているわけではないから、買うと言っても間接的に買う事になる。それを買う事によって幸せになれる事が必要だし、そういうものであれば、「幸せはお金で買える」と言えるだろう。そしてお金さえあれば、今はかなりの幸せが買える。
もっとも、宝くじを当てた人がその後不幸になるなんて話は良く聞くし、あれば良いと言うものでもないだろう。醜い遺産相続の話なんかもしょっちゅう聞く。
そういう例を持ち出してきて、「幸せはお金では買えない」というのだろうが、それは単に使い道を誤っているだけで、欲張らずに正しく使えば十分に幸せを買う事ができるはずだ。
我が家の子供たちももう少し大きくなれば、金銭教育も必要になるだろう。
「お金で幸せは買えない」などときれい事を教えたくはないし、かと言って「世の中金だ」と思うようになってもらっても困る。汗水たらして働く事の意義をしっかり教えて、そうして手にしたお金を上手に使えばそれが幸せに繋がるはずだ。
残念ながら残りの人生で収入はあまり増えそうもないから、せめて賢く使う事で小さな幸せを買いためようと思うのである・・・
【本日の読書】
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