2011年7月20日水曜日

天の邪鬼

≪初めの一歩は自分への尊敬から≫
「最初に自分を尊敬する事から始めよう。・・・自分を尊敬すれば悪い事なんてできなくなる・・・そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる・・・」
(【超訳ニーチェの言葉】より)

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ということが「超訳ニーチェの言葉」という本に書いてあった。
なるほどと思うものの、そうは言っても自分でも尊敬すべきかどうかわからないところがある。それは「天の邪鬼な性格」である。
基本的に人が「右」向くなら、反射的に「左」と考えてしまう。
人間の性格って不思議なもので、どこでどう形成されるのだろうと不思議に思う。
両親は揃って真面目で正直な性格なのに、私はそうではない。

いつの頃からか始ったのかこの天の邪鬼、記憶を辿ると一番古いもので小学校3年に遡る。
当時町内の少年野球チームに入ったのだが、ユニホームを新調し、背番号は自由に決めて良いと言われ、大好きな長嶋の「3」にしようと考えた。ところが同じように考えるやつがたくさんいるとわかり、ならばと「6」に変えた。大好きな番号よりも、他人と違う番号を良しとしたのだ。

その後、ジャイアンツファンだったのに、周りのみんながジャイアンツファンばかりで、ならばと阪急ブレーブスに目をつけた。それからしばらくはジャイアンツファンはお休みしていた。それでも長嶋監督の登場でジャイアンツファンに復帰した。というよりも、気がついたら周りにアンチジャイアンツが多くいて、それが大きな理由だったとも思う。

そうした事例は枚挙に暇がなく、というより毎日のようにある。
そんな天の邪鬼な性格は、自分にとっては特段苦にするところもないのであるが、時折みんなが盛り上がっている時などに、雰囲気をぶちこわす時がある。
盛り上がっているところへ持ってきて、反対の意見を言われたら誰だって気分が悪くなる。
そんな時は、やっぱりひねくれ者の僻みのように思えて、自分自身に対して嫌悪感を抱く事もある。

昨日も職場の食堂で、なでしこジャパンの活躍に興奮している同僚に向かって、「興味ない」と冷たく言い放ってしまった。同僚氏曰く、私は「非国民」だそうである。今思えば適当に相槌を打っておくのが大人の対応だったと反省しているが、ついつい口から出てしまう事もある。「沈黙は金」とはよく言ったものである。

最近はこらえて黙っている事も多いが、言いたい事を黙っているのはなかなかストレスな事。
かといって、昨日のように思わず言ってしまって反省するのもまたストレス。
仕事ではあまりストレスなど感じない私なのだが、こういうところではかなりストレスを感じている。そうしたストレスを解消するのがこのブログなのかもしれないが、それとて読んでいる人がいる以上は配慮が必要だとも思う。

人によって感じ方は様々だし、感じる事は変えられない。
頭ではわかっていても、心が反応できない。
頭ではわかっていても、気持ちは変えられない。
人間は感情の動物だから、いくら頭で納得しようとしたって無理なものは無理なのである。
それが素直な自分なのだと思うしかないし、無理に変えようとしてもできる事ではない。
これからもうまく天の邪鬼な自分と付き合っていくしかないなと思っているのである・・・


【本日の読書】
     
     


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