先々週は長男の七五三で地元近くの東伏見稲荷へ。
そして先週は旅行で、箱根神社に行った。
毎年初詣には地元の氏神様にお参りを欠かさないが、七五三やかつては自分の厄払いなど折に触れて神社に行く。諸外国の人から見れば、日本人の宗教心などないに等しく映るかもしれないが、やっぱり我々もそれなりに宗教とは関わっている。
七五三ではお祓いをしてもらい、絵馬をもらったので一筆書いて奉納してきた。
「はい、書いて」と妻から絵馬を渡されて、はたと困ってしまった。
普段からあまり考えてもいないから何も浮かばない。
それに元々宮本武蔵流の「神仏は尊ぶが神仏を恃まず」の精神を心掛けているから尚更である。
結局あれこれ迷って子供の健康を祈願した。
箱根神社はお参りというよりも観光で行った。
芦ノ湖に浸かった鳥居も見事だが、参道の脇の立派な杉の木にも驚いた。
街中の神社と違って威厳が漂う。
観光とはいえ、行けばお参りしないわけにもいかず、お賽銭を投げて手を合わせた。
ご挨拶するのが礼儀だろう。
何気なく目を向けたところにたくさんの絵馬がかかっていた。
それらを見るとはなしに見る。
いろいろな人がいろいろな願い事を書いている。大体が、健康の事が多いようだ。
家族の健康を祈願するのは大抵の人がみなそうであろう。
次に目についたのが受験関係。
高校や大学がちらほら目につく。
そう言えば、私自身も受験時は心細く不安な思いをした。そんな思いが絵馬から伝わってくる。
結婚・出会いも多かった。
「素敵な人」からずばり特定個人を指定したものもあり、今時なのか「草食系」という表現もあり、みんな好き勝手に希望を書いている。大体これらはみな女性の手によるものだった。
男は自分から行くが、やっぱり女性は受身が多いだろうから祈りたくもなるのだろうか。
「転職がうまくいきますように」なんてのもあり、「来年出すCDが1万枚以上売れますように」なんてのもあった。カッコ書きで芸名らしき名前が書いてあったから、写真に撮っておけばよかったかと後から思った。もしもヒットして売れたら記念になるかもしれない。
英語やハングルもあった。
神様の中には異国の言葉も理解できる方がいるのだろうか。
「パパの病気がよくなりますように」
私が神様に推薦するとしたら、これを選ぶだろうと思った。
是非叶えてあげてほしいと思う。
いろいろな人の様々な願い事が奉じられている。
どのくらいの願い事が叶うのだろう。
見た限りでは、「億万長者になりたい」などというものは見当たらなかった。
やっぱり神様の前だから、願う方も控えるのだろう。
叶う叶わないは別として、自分の願いを神聖な気持ちで絵馬に書くという行為は、それ自体がいいのかもしれない。神聖な場所で、厳粛な気持ちで、自分の願いを神様に報告するのだ。
実現するかしないかは自分次第だ。
折に触れこういう機会をこれからも持ちたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「それでも日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
「逝きし世の面影」渡辺京二
箱根神社はお参りというよりも観光で行った。
芦ノ湖に浸かった鳥居も見事だが、参道の脇の立派な杉の木にも驚いた。
街中の神社と違って威厳が漂う。
観光とはいえ、行けばお参りしないわけにもいかず、お賽銭を投げて手を合わせた。
ご挨拶するのが礼儀だろう。
何気なく目を向けたところにたくさんの絵馬がかかっていた。
それらを見るとはなしに見る。
いろいろな人がいろいろな願い事を書いている。大体が、健康の事が多いようだ。
家族の健康を祈願するのは大抵の人がみなそうであろう。
次に目についたのが受験関係。
高校や大学がちらほら目につく。
そう言えば、私自身も受験時は心細く不安な思いをした。そんな思いが絵馬から伝わってくる。
結婚・出会いも多かった。
「素敵な人」からずばり特定個人を指定したものもあり、今時なのか「草食系」という表現もあり、みんな好き勝手に希望を書いている。大体これらはみな女性の手によるものだった。
男は自分から行くが、やっぱり女性は受身が多いだろうから祈りたくもなるのだろうか。
「転職がうまくいきますように」なんてのもあり、「来年出すCDが1万枚以上売れますように」なんてのもあった。カッコ書きで芸名らしき名前が書いてあったから、写真に撮っておけばよかったかと後から思った。もしもヒットして売れたら記念になるかもしれない。
英語やハングルもあった。
神様の中には異国の言葉も理解できる方がいるのだろうか。
「パパの病気がよくなりますように」
私が神様に推薦するとしたら、これを選ぶだろうと思った。
是非叶えてあげてほしいと思う。
いろいろな人の様々な願い事が奉じられている。
どのくらいの願い事が叶うのだろう。
見た限りでは、「億万長者になりたい」などというものは見当たらなかった。
やっぱり神様の前だから、願う方も控えるのだろう。
叶う叶わないは別として、自分の願いを神聖な気持ちで絵馬に書くという行為は、それ自体がいいのかもしれない。神聖な場所で、厳粛な気持ちで、自分の願いを神様に報告するのだ。
実現するかしないかは自分次第だ。
折に触れこういう機会をこれからも持ちたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「それでも日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子
「逝きし世の面影」渡辺京二
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