2010年9月12日日曜日

タバコをやめられないなんて・・・

10月からタバコが100円も値上がりするようである。
一時は海外のように一箱1,000円になるという話もまことしやかに流れていたが、100円で良かったのか、100円も値上がりしたと考えるのか、たばこを吸わない私には何とも言えないところである。

何でもこれを機にたばこを辞めようと言う人が、禁煙クリニックやら禁煙グッズやらに殺到しており、今それらの関連の売り上げが急増しているという。私にしてみるとそんなものに頼らないとたばこをやめられないなんて、情けないと思わざるを得ない。医者やグッズに頼るのははっきり言って「甘え」以外の何ものでもない。

よく「俺はたばこをやめられないしやめるつもりもない」と豪語していた人が、肺癌と診断された途端、ピタッと煙草をやめたという話を耳にした事があるが、要は真剣にやめようと思えばやめられるのである。真剣に思わないから、「吸いたい」という誘惑に耐えられないだけである。

私は今こそたばこを吸っていないが、初めて吸ったのは高校生になってからだ。
小学校4年から春と夏の休みには2週間程度 御代田に住む従兄の家に一人遊びに行っていた。
一つ年上のその従兄は、長男の私にしてみれば良い兄貴だったのだ。その従兄に、夜布団のなかでたばこの吸い方を教わったのだ(ちなみに酒も教えてもらった)。

それ以来、カッコつけのためだけに親に隠れてタバコを吸っていた。
最初はカッコつけでも、やがて味がわかってくる。そうすると次に「吸いたい」と思って吸うようになり、やがてどういう状況で吸うと「おいしいか」がわかるようになる。私の場合、「食後のコーヒーと一緒に吸う」のが一番であった。

逆に歩きタバコはあんまりうまいと感じなかった。
風があるとその影響を受けるらしい。
だからあまり歩きタバコはしなかったし、今でも歩きタバコをしている人を見ると、「タバコを味わっているのか、味がわかっているのか」と思ってしまう。

また、酒の席だとタバコが進む。
だから酒を飲みながら吸う人の気持ちはよくわかる。
だが、これは飲み過ぎたりすると次の日に倍の気持ち悪さとなって現れたりする。

そんなタバコ生活をやめようと思った事は、実は今まで一度もない。今でもそうである。
30歳になった時に会社の業務研修で大阪に行き、3ヶ月ほどの研修生活を送った。
年齢的にも体力の低下を自覚し、当時まだ現役でラグビーをやっていた私は危機感を覚え、最後の一カ月間を体力回復期間に充てる決意をした。

朝起きて走り、朝食はリンゴ一個。
タバコは一カ月間の期間限定禁煙を自分に課し、夜は筋トレに励んだ。
「一カ月間の禁煙くらいできなくてどうする」と自分に言い聞かせ、ぴしゃりと吸いたい気持ちを抑えきった。簡単な事だった。

その間、一度だけ夢で吸った。
タバコを吸いながら、「なぜ迷わなかったのだろう」とえらく後悔した。
普通、「吸っちゃえ」という悪魔の声と「吸うな」という天使の声が交錯するだろうと。
だが迷いもなく火をつけ吸っていたからショックだったのだ。
目が覚めてほっとしたのを覚えている。
そして東京に戻ったが、それ以後不思議とタバコを吸いたいと思わなくなっていた。

吸いたくないから吸わないという、いわば【休煙】状態がそのままずっと続いている。
だが禁煙したわけでもない。たまに実家で弟と会い、なんとなくタバコをうまそうに吸っている弟を見て、「一本よこせ」と言って火をつけた事がたびたびある。しかし、不思議とあんまりうまいと感じずにそのまま吸う事もないのである。

将来どうなるかはわからない。
また吸いたくなるかもしれないし、このままかもしれない。
だが基本は「吸いたいから吸う、吸いたくないから吸わない」だ。
健康にどうだとか、値段がどうだとかは関係ない。

人やモノに頼ってまでタバコをやめようとするなんて、ナンセンスだ。
まあ自分にはあまり関わりのない事だし、他人の事をとやかく言う事でもない。
果たして、また吸いたくなる時がくるのだろうか。
それがちょっとだけ興味深いところである・・・
     

0 件のコメント:

コメントを投稿