2010年8月16日月曜日

終戦記念日に思う

8月15日は言わずと知れた終戦記念日。
8月6日以降の一週間、毎年我が国は終戦ムードに包まれる。
昨日はテレビで「玉音放送」全文を流しているのをたまたま見ていた。
感度の悪いラジオで、当時多くの国民が意味がわからなかったらしいが、なるほどどうして無理もない。

『朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ』

冒頭のこの一文で、要は「ポツダム宣言を受け入れる=降伏する」と言っているわけであるが、聞き取り難さと不慣れな表現、それにポツダム宣言の内容を理解していないとわからないはず。
これを聞いて、当時すぐに意味のわかった人は、なかなかの知識と情報量のあった人なのではないだろうか。

それはともかく、戦争の悲惨さと二度と起こしてはならないという誓いは、繰り返し繰り返し言われ続けている。今年はさらに語り部の数が増え、もうこれで最後と言わんばかりに戦争体験があちこちで語られている。直接経験した世代はいずれいなくなるわけで、その前にこうした証言を一つでも多く知りたいと思うし、残してほしいと思うから良い事だ。

ただ、いつも感じるのは、結果に対する反省だけで、原因追究が極めてあいまいだと言う事だ。
「どうして戦争は起こったの?」
子供にこう聞かれた時、どれくらいの人がきちんと答えられるだろうか?
「悪の日本軍が大陸に侵略して行ったからだよ」とはまさか言わないだろう。
それを言うなら、「なぜ侵略して行ったのか」を説明しないといけない。
「世界支配を目指していた」なんて、旧日本軍をショッカーと一緒にするような回答をする人は共産党や社民党の人ぐらいしかいないと思うが、大丈夫かとちょっと心配になる。

結果には必ず原因がある。
そして結果を回避するためには、原因究明が不可欠である。
それなのに、こと一番大事な戦争については、結果責任だけに着目し、お詫びだけで蓋をしてしまっているように思えてならない。

過去、中学・高校と歴史の授業は受けてきた。
ところが、どうでもいいようなネアンデルタールとか縄文式土器とかの話は熱心にされるものの、肝心な昭和現代史はちょっとしか触れられない。
ましてや、(私の頃は)原因究明なんて皆無であった(まあ世界史を学べば、事実をつなぎ合わせて、頭を働かせれば原因はすぐにわかるのであるが・・・)。

「なぜ」を5回繰り返す改善でトヨタは世界に誇る品質を維持するトヨタ方式を編み出したというが、そのトヨタ方式に習って「なぜ」を繰り返せば原因は見えてくる。
「なぜ、日本は大陸に進出(侵略)していったのか」
そこからスタートして考えてみれば、ある程度の原因はみえてくる。

マスコミも「戦争は悲惨だ」と言えばこの時期はいいんだと思っている。
「二度と繰り返してはいけない」と言っていれば確かに間違いはない。
「ではどうしたらいいのか?」
65年も経つのだから、そろそろそこまで進んでもいい時期だと思うが、どうだろう。

私もビジネス式に「原因究明」と「再発防止対策」について、思いっきり誰かと議論してみたいと思うが、なかなかその機会に恵まれない。
そんなフラストレーションをこの時期いつも抱えているのである・・・

【本日の読書】
「デカルト方法序説を読む」谷川多佳子
「日暮らし(下)」宮部みゆき
「リング」百田尚樹


      

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