この年になってくると、昔ラグビーをしていて痛めた古傷があちこち痛む事がある。右肩を痛めたのでもう遠投はできないし(スピードボールも投げられない)、左肩はまっすぐに上がらない。靭帯が切れていて正座も長時間できないし、その他細かいのもたくさんある。だがそれでも幸いな事に大きな怪我はなかった。骨折もした事がない。一番大きな怪我は左肩の脱臼だ。
4年の時の公式戦第1戦。開始直後に相手と激突して外れてしまった。ラグビー協会から派遣されて来ていたドクターが診てくれたが、その場で処置できないと判断し救急車を呼ぶように指示してくれた。その間、経験した事のない激痛に倒れたまま、体のどこも動かせずにいた(ちょっと動くだけで左肩に激痛が走ったのだ)。そんな状況下、実はある事を考えていた・・・
高校時代の事である。やっぱり練習中に先輩が腹を強打して倒れた。当たり所が悪く、その先輩はまさにのたうち回って苦しんだ。幸い大した事はなかったが、いつも颯爽としている先輩が無様ともいえる姿を晒してちょっとイメージダウンだった。その時思ったのだ、「自分にもいつそんな時が来るかもしれない、自分は絶対醜態を晒さないようにしよう」と。
救急車を待つ間、心の中では「早く来いよ~」と毒づいていたが、うめき声ももらさないようにあの時の先輩ののたうち回る姿を思い出して耐えていた。ようやく救急車が来たが、こちらは動けない。グラウンドもそんなに広くないし、私の倒れている場所まで来てもらうには試合を止めないといけない。「試合を止めろ!」と後輩が叫ぶのが聞えた。
だが、冗談ではない。そんな事をしたら衆人環視の中、無様に運ばれて行く事になる。それに試合が止まれば試合中の敵も味方もそれをじっと見る事になる。味方が救急車で運ばれていくのは、心理的に敵を調子づかせ、味方にはダメージを与える。「試合を止めるな!」とその後輩に言って、激痛を堪えて救急車まで歩いた。その姿は背中の曲がった老婆のようでけっしてかっこ良くはなかったが、とりあえず最悪の醜態を晒す事だけは避けられた。
生まれて初めて乗った救急車は、揺れると激痛が走るし、かといって後輩と女子マネがついていてくれたから、まだ醜態は晒せなかったし、病院までの道のりがひどく遠く感じられた。さらにその試合は負けるし、怪我でそのあと2試合出られなかったし、最後なのにひどいシーズンだった。それでもずっと意識していたからこそ、その時醜態を晒さずに済んだと思う。それだけは、まあ良かったのだ。
その昔、武士は元服すると真っ先に切腹の作法を叩き込まれたという。常に武士道に生きていたサムライとは比ぶべくもないが、いざという時のための意識はしっかりとできていたつもりだ。怪我に限らずであるが、いざとなった時に醜態を晒さないようにしようとは今でも腹の中で思っている事だ。人間はピンチの時こそ真価を問われるし、その人の人間性が出るものだ。
しかし失恋だけは辛かったなぁ・・・人前でこそなかったものの、けっこう枕を濡らしたよなぁ。これだけは、覚悟があってもなかなか厳しかったと、今も思うのである・・・
【本日の読書】
「ゴールドラッシュの超ビジネスモデル」野口悠紀雄
「永遠の0」百田尚樹
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