2009年12月16日水曜日

終末のフール

 「終末のフール」を読んだ。ここでは詳しくは述べないが、小惑星の衝突により3年後に人類が滅亡するとわかった仙台市内のあるマンションの住人たちを描いた小説である。
読みながら、また妄想を膨らませた。もしも、3年後に人類が滅びるとしたら、自分はどうするだろう・・・

 たぶん、腹を括って残りをいかに充実して過ごすか考えるだろう。仕事は辞めて、子供たちと遊び、毎日映画を観て、本を読み、日本国中を車で旅するのもいいだろう。ハワイに行って、青い海と空を眺め、ビーチパラソルの下でトロピカルドリンクを飲んで、本を読むのだ。その前に少し走ってシェイプ・アップしないといけない。そうして最後の日を穏やかに迎えるのだ・・・

 となんとなく考えたが、ふと気がついた。他の人はどうするのだろう、と。そして重大な事に気がついた。みんながそんな風に考えたら、大変な事になる・・・

 当たり前の事だが、この世の中は相互依存社会だ。何をするにもどこかの誰かの力が必要になる。映画を観るには創る人がいて、上映する映画館があって(もちろん、そこで働く人がいて)、本屋さんで働く人がいないと本は買えないし、テレビもビデオもDVDも、そもそも電力の供給が止まったらそこまでだ。

 銀座に行くのだって西武鉄道の人達が働いていないといけない。車だってガソリンを供給してくれないとすぐに鉄くずだ。それに何より食料の流通に携る人達がいなくなったら、食べるものもなくなる。ただでさえ、食料自給率の低い我が国だ、たちまち飢えてしまう。食料の争奪戦が始まっても治安を維持する警察官が働いていなければ、まさに弱肉強食の無法地帯。3年どころか3ヶ月ともたないかもしれない・・・

 つまり、仕事を辞めて余生を面白おかしく過ごすためには、社会に生きる人達に今まで通り働いてもらわなければならない。それはまた自分も働かなければならないという事だ。「2012」では、混乱を恐れた各国首脳は人類滅亡のニュースを伏せて水面下で箱舟を用意した。終末のフール」では逆に8年前に公表し、混乱の5年間を過ごした。やっぱり、公表されて知ってしまうと自滅する可能性の方が高そうだ・・・

 でも調和を重んじる日本人なら、ひょっとしたらすべてを説明されれば、今の秩序を維持しながら最後の日を迎えられるかもしれない。一部には自暴自棄になる者たちも出てくるだろうが、みんなで協力し合って3年間を平和に過ごそうとなったら、他ならぬ我々日本人ならできるかもしれない。そんな風に思ってしまう。単なる希望的観測かもしれないが、できないとも言い切れない。

 自分はどうだろうか。たぶんそういう説明がなされれば、今と同じように働き続けるだろう。毎日映画を観て、本を読んで、日がな一日子供と遊ぶ優雅な生活は、今でも出来ないのだから仕方がない。まあ残り1週間となったら、そこらあたりでいよいよ休むかもしれない。途中1週間くらいの休暇ならこれまで通り取れるだろうし、短い時間だがハワイでトロピカル・ドリンクも堪能できるだろう。もしも、そんな事態になったとしても、やっぱり世の中の為に働き続ける意識は大事だと改めて思った。

 妄想はあくまでも妄想だ。果てしない妄想だ。だが、どんな事態になったとしても、やっぱり世の中の一員だし、自分なりに果たせる役割をはたさないといけない。そんな自覚を持ち続けたいもだと思うのである・・・


【本日の読書】
「よくわかる経営分析」高田直芳
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子



     

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