2009年7月22日水曜日

桃狩りにて

 我が家では味覚狩りは季節ごとの重要な行事である。春先のイチゴ狩り、初夏のさくらんぼ狩りに続いて、今年第3弾として桃狩りに行ってきた。行く場所はここ数年決まっていて、山梨県にあるイチフル農園というところ。一度行って満足したので、それ以来今回が3回目である。

 こういったフルーツ狩りの楽しさは、食べる事それ自体もそうであるが、何といっても「木からもぐ」という行為そのものにもある。子供たちにとってみれば、桃はいつもスーパーで箱に入って売っているものであり、食後のデザートにママがむいて切って出してくれるもの、である。それが目の前の木に成っているわけであるから、新鮮なのである。

 4歳の長男は梯子に登る事に楽しさを覚えたようである。普段とは違う遊びに熱中するのはどこの子供も一緒だろう。一人では怖くて登れないくせには、登りたくて仕方がない、そんなところが面白い。

 よくよく観察すると、桃の一つ一つに紙のカバーがかけられている。たぶん何かからの保護であると思うが、何せ膨大な桃の実である。その作業の労力たるや大変だろうと思う。もちろんそれなりの料金はとっているが、そうした作業は手作業である事を考えると、農業というものはやっぱり手のかかるものであると思わざるを得ない。諺通りであるならば、発芽から結実まで桃や栗は3年、柿は8年かかるわけである。

 桃はその昔、多くの実がなることから豊穣の象徴とされ、古くから魔よけや不老不死の仙果として重宝されていたそうである。という事は、一般庶民だと食べたくても食べられないものだったのだろう。戦後の日本ではバナナが高級品だったという話を聞いた事があるが、世が世なら我々庶民がこうして家族でもいで好きなだけ食べるなどという行為は、夢のまた夢であったのかもしれない。

 桃と言えば「桃源郷」。中国の漁師が迷い込んだ桃の花が咲き乱れる仙境(俗界を離れた清浄な土地)に由来する「桃源郷」は、もう一度行こうとして探しても、どこにも見つからない「どこにもない場所」を指す。そんな「桃源郷」は、貴重品であった桃に対する憧れなのかもしれない。

 山梨県はすぐお隣だし、渋滞が日常化している中央道とはいえ我が家から3時間程度で行けるところである。桃源郷とはほど遠いものの、農家の人はみなさん人が良く、のんびりとリラックスできる上にお腹一杯桃を食べられるのは幸せだ。子供ならずとも大人も毎年行くのを楽しみにしている。

 満足したあとは山の中腹のフルーツ公園へ移動。そこから甲府盆地を見渡す事ができる。武田信玄も同じ光景を見たのかもしれないなと考えたりする。子供たちの歓声を聞きながら、当時からすれば現代社会は過去の人が夢見た桃源郷と言えるのだろうかと考えてみた。そうだと言える部分と言えない部分がある。現代社会は問題はあるとは言え、過去から比べると幸せな社会だと言えるだろう。それでもやっぱり桃源郷とは言い難い部分が多い気がする。

 まだまだ理想に向って進歩していかなければならない、という事なのだろうと思うのである・・・

      

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