私は晴れ男である、と自認している。
そう思わずにはいられない経験を繰り返しているからなのである。だが、我が家にはそれを頑なに拒絶する一人の女性がいる。
彼女曰く、「だって○○の時も、△△の時も雨だったじゃない」。
確かにそれはそうなのである。
今回の3連休も前半で1泊2日の旅行に行ってきたのだが、天気予報で「雨」と報じられるたびにため息混じりに、「俺は晴れ男だなんて言わないでよね」と五寸釘を刺されてしまった。そして実際、雨は降った。
しかし、である。
晴れ男も考えようなのだ。
実際私がどんなに頑張ったところで天候には何の影響力も持ち得ない。
それは誰でもがそうである。
しかし、しかし、である。
今回は、東京湾アクアラインの海ほたるに着いた途端に雨が降り出した。
前回は海ほたるを見学する事自体が目的であったが今回は違った。
だから雨でも影響は何もなかったのだ。
車で移動している時もそうだ。
イチゴ狩りをはじめた時も雨であったが、イチゴ狩りはビニールハウスの中だ。
雨音が激しくハウスを降り叩くが、中では何の影響もない。
それどころか昼食時には雨は上がった。
そして房総のフラワーラインは海を見ながら快適にドライブできたし、足を留めた野島崎灯台では外を見学できた。さらに雨上がりに雲間から日の光が降り注ぐ幻想的な景色も眺められた。
一日戸外で過ごす予定であった翌日は、朝からこれでもか、という快晴だ。
こういう事は過去にも数多くあった。
何も晴れ男と言ってもいつも朝から快晴、というわけではない。
ここぞ、というイベントの時は「最悪でも必要な時には雨が降らない」のだ。
雨の中ドライブしていて、目的地に着いたところで雨がやみ、また走り出した時に雨が降り出した、という事もあったのだ。天気になど影響力を何も及ぼせない私であるのに、である。
これは何か目に見えないツキとしか言いようがない。
そう強力に主張したいところはやまやまなのであるが、敢えて家庭内では反論しない事にした。
そんなの自分だけで満足していればいい話だし、わざわざ真っ向から主張して嵐を招く事もない。
私は「晴れ男」であって、「嵐を呼ぶ男」ではないのである。
家庭内がいつも晴れているようにする事だけは、天気と違ってコントロールできる。
やっぱり私は「晴れ男だ」と、世界の中心で叫びたいと思うのである・・・
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