2008年12月23日火曜日
サンタクロース
「サンタさんてほんとにいるの?」
8才になる娘からそう聞かれた。
どうやら学校で「サンタさんの正体はお父さん」と言う友達が出てきたらしい。一方でまだ存在を信じている友達もいて、娘は揺れ動いているようである。
かねてからサンタクロースについてはいろいろと考えていたから、その考えを語って聞かせた。
「サンタクロースはね、子供のところにしか来ないんだよ。でも毎年たくさんの赤ちゃんが生まれてくるだろう。そうするとその赤ちゃんが増えた分、プレゼントを届ける子供を減らしていくんだ。誰から減らすかと言うと『サンタさんを信じなくなった子』からなんだよ。」
次の日に友達と何をサンタさんにもらうか話したと報告しにきたから、どうやら今回は信じたらしい。
だが、そういう説明をしたからといって娘に無理やり夢を信じさせようと考えているわけではない。サンタクロースとはそういう存在で、まさに語った通りだと自分自身考えているからだ。
例えば神様を信じている人がいる。
次の日どうしても晴れて欲しいが、天気予報は無情にも雨だったとする。
そこで神様に一心不乱に祈ったところ、翌日奇跡的にも晴れたとしよう。
その時、その人にとっては神様は確かに存在していることになる。
信じない者は天気図を引っ張り出してきて予報が外れた原因の説明をするだろう。
だが、「祈った」という事実と「願いがかなった」という事実だけを捉えれば、確かに神様は存在しているのだ。
サンタクロースも同じだ。
プレゼントを買ってきて枕元に置いたのは確かに親かもしれない。
しかし寝ている子供にはその事実はわからない。
「朝目が覚めて枕元にプレゼントが置いてあった」という事実だけをみれば、その存在を信じる限り確かにサンタクロースは存在しているのだ。
その存在を信じなくなった時、サンタクロースはもはやその子にとって存在しないものになる。まさに「信仰」そのものである。
神を信じる者は無条件で信じるであろう。
それが信仰というものだ。
そういう信仰をバカにする事はできない。
もう遠い昔となってしまったが、サンタさんに消防車をもらったことがある。
大きな袋をかついで消防車を届けにきてくれた姿を想像し、とても幸せな気分だった事を今でも覚えている。あの時確かにサンタクロースは存在していたのだ。
そして今でもあの時の事を思い出すと心が温かくなる。
そのぬくもりが残っている以上、今でもまだサンタクロースは存在していると思うのである・・・
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