先週の日曜日は、マンション管理士の資格試験であった。仕事での必要性から受験を決意し、1年間準備してきて試験に臨んだが、自己採点ではどうやら「あと一歩」だったようである。残念というよりも、もう勉強したくなかったので、また勉強を続けないといけないのかという気持ちの方が強い。まぁ、1回で諦めるわけにもいかず、また来年再チャレンジするしかない。
このマンション管理士という資格だが、実はなんで設けたのかわからないほど「意味のない資格」である。資格があるからと言って、できることは「マンション管理士を名乗って相談に乗ることができる」というものである。マンション管理士でなくても「名乗りさえしなければ」相談には乗れるし、笑ってしまうくらい意味がわからない資格である。おそらく、これで食べていくことはできないだろう。
なんでこんな資格なんか作ったのだろうかと訝しく思うが、まぁ役に立つ立たないではなく、資格を作っただけで仕事をしたという「お役人の理屈」の産物ではないかと思う。では、なんでそんな資格を手に入れようかというところであるが、それはこの資格の唯一の強みである「名刺の肩書き」だろう。これが名刺に入っているのといないのとで、今の仕事で相手に与える印象が大きく変わると思うのである。
そういえば、最近「賃貸不動産経営管理士」という資格があることを知った。不動産賃貸業に従事している身として興味あるところであるが、その資格とは、「賃貸不動産管理に必要な専門的な知識・技術・技能・倫理観を以って、賃貸管理業務全般にわたる、管理の適正化・健全化に寄与することを目的とする資格制度」(Wikipedia)であるらしい。これも何だかよくわからない。別に資格なんかなくても何の支障も差し障りもない。唯一、「倫理観」というところは大事だと思うが、資格の勉強で果たして身につくものかという気はする。
資格というのは、一定の範囲で必要だとは思う。その資格がないと仕事ができないようなものであれば、モラルや安全性といった意味で一定の保証になる。不動産業に携わっていると、基本的な資格である宅建を持っていないと、重要事項の説明ができないなど支障が生ずるので、最低限の勉強をさせるという意味でも資格としては意味があるかもしれない。しかし、マンション管理士にはそれがない。不動産経営管理士とやらも然りである。
そんな名刺の肩書き程度にしか役に立たない資格ではあるが、合格率は毎年8%程度という狭き門。名刺の肩書き程度にしか意味のない資格に対し、そんなに門を狭くして何の意味があるのかと思う。ただ、そうした文句の諸々は何よりも「受かってからしろ」と思う気持ちがあって、何より受かるまではまずは勉強するしかない。試験問題も、そんなに細かく知る必要があるのかというぐらい重箱の隅問題があるのだが、何より実際に受かっている人がいるわけだし、今回の試験もやっぱり8%くらい受かるわけだから、まぁ勉強するしかない。
年々衰える記憶力は、自分でも愕然とする。これでも難関国立大学を卒業したという自負はあるのだが、もうそんな過去の栄光は額縁の中だけにしか通用しない。衰えたなら衰えたなりに創意工夫して戦わなければならない。敵は己自身の怠け心。来年の絶対合格を期して、1日も手を休めることなく、これから勉強をし続けようと思うのである・・・