数日前、上場している学習塾がこぞって業績好調だというニュースを目にした。上場約20社のうち半数近くが過去最高益なのだという。知らないうちに20社近くも上場していたというのには驚いたが、この少子化でも儲かっているらしい。我が娘の通っていた「ena」を運営する学究社もそんな過去最高益を計上している一社らしい。
我が家もだいぶ業績に貢献したからなぁと、改めて思う。この一年、娘は熱心にenaに通っていた。もともと私はあまり塾というところが好きではない。子供の頃も塾へは行った事がない。母親からは何度も塾へ行けと言われたが、水泳や習字や野球などは何の疑問も持たず言われるがままに通った割には、塾だけは拒絶していた。何となく勉強だけしに行くというのが嫌だったのかもしれない。
そんなわけで、娘には塾へ行かせようという気持ちはサラサラなかった。しかし、地元の都立中高一貫校を受けるという話が出た時、過去問を見たところその内容に気持ちが変わった。とてもではないが、学校の勉強をしていても受かるわけがないと思ったからである。それもいかがなものかという気はするが、郷に入っては郷に従えで、塾に行かせる事になった次第である。
行きはじめたら、娘は「勉強は面白い」と言い出し、実に熱心に通っていた。夏は清里へ合宿に行ったし、日曜特訓、直前の冬期講習、正月特訓とまぁ片っ端から行っていた。1年間で「ハワイに行けるくらい」かかった、と妻がぼやいていたが、それだから過去最高益にも達するわなぁと思うのである。
それにしてもenaもお金を取るばかりではなく、よくフォローしてくれていた。家にもよく電話がかかって来たし、さすがに学校と比べると受験指導は熱心だ。直前の頃は、塾の先生はみな終電まで頑張っていたようである。残念ながら合格という成果には結びつかなかったが、娘は引き続き塾へ行きたいと言う。「少しは休んだら」と言ったのは、娘を気遣ったというよりは、正直言って懐を気遣ったのであるが、敵もさる者、何と継続通学は1年間授業料タダなのだという。「それなら行け」と言ったのは言うまでもない。
考えてみれば、塾は「実力(成果)主義」。合格者が多数出れば、塾の知名度も上がって生徒数も増えるが、合格者が少なければ他へ流れてしまう。中学受験に失敗した子供は、次の高校受験では他の塾へ行くかもしれない。1年間タダにしたところで、固定費は変わらないし、変動費など微々たるもの。失敗した子は早目に高校受験の準備を始めると考えたら、1年間つなぎとめておく効果は大きいかもしれない。「アフター・サービス」というよりも、そこにはしたたかな戦略性を感じる。
自分としては、塾へ行きたかったとは露も思わないし、娘にも行かせたいとは今もって思わない。ただ、「面白い」と言う娘の好奇心を満たしてくれるなら、まぁ悪くはないと思う。これまで娘には、「勉強しろ」とは一言も言っていないし、これからも言うつもりはない。塾へも行きたいなら仕方ないというスタンスだ。いずれ塾に頼らずとも、自分で勉強をしていってくれるようになってほしいと思う。
懐も共感するところだと思うのである・・・
【本日の読書】
2013年2月28日木曜日
塾へ行くの?
2013年2月20日水曜日
親父の誕生日
本日は、親父の戸籍上の誕生日である。「戸籍上の」というのにはわけがあって、この世に生れ出た日はどうも21日だという事なのだが、役場に届け出た誕生日が20日だったというのである。子供の頃から事あるごとに、「誕生日は20日だけど本当は21日なんだ」と聞かされてきた。個人的には「マイ・ヒーロー」であるアントニオ猪木と長嶋茂雄と同じ誕生日なんだから20日の方が良いじゃないかと思うのだが、どうもそうではないらしい。
親父は、今は仕事を辞め、趣味にしている写真を日々の楽しみにしている。年賀状はもちろん、家にもたくさんの写真が飾ってある。写真の良し悪しなど見てもわからないが、それでも何となく良さそうなものを褒めたりすると、嬉しそうにいろいろ語ってくれる。
親父は、長野県は山梨との県境にある富士見という町の出身。小淵沢という割合メジャーな駅が近くにあって、八ヶ岳の麓の避暑にはもってこいでいながら、それでいてまだ田舎のままの町である。そこで中学まで過ごした父は、卒業と同時に東京へ出てくる。当初は地元で大工になるつもりだったらしいが、友人が兄の招きで東京に行って働く事になり、一緒にと誘われた事から東京に出てきたという。若干16歳の春である。
今でこそ中央高速に乗れば車で2時間ほどで行けるが、当時は汽車で6時間の旅。友人と二人とはいえ、さぞかし心細い旅だっただろうと想像させられる。着いたところは印刷会社。丁稚奉公で、朝の6時に叩き起こされ、職人さん達が来る前に一働き。昼こそ45分間の食事時間があったが、朝晩は交代でわずかな時間で食べたという。田舎では麦飯が主流で、芋など色々混ざっていて、白米は大晦日に魚一匹と一緒に食べるのが唯一の機会だったらしい。ところが東京に出てきたら毎日白米で、逆に気持ち悪くなったと言う。随分生活水準が違っていたようである。
田舎から出てきた親父は、印刷工として丁稚奉公からスタート。下着はおばあさんが縫ったさらしのもので、親父はそれが恥ずかしく、人前で裸になれなかったらしい。半年後に下着一式をもらいようやく人前で服を脱げるようになったと言う。そんな思いなど、ありがたい事にした事がない。
仕事は夜の12時まで続く。お腹が空いて、工場の前に夜泣きそばが来ると、みんなで食べたという。さらに寝がけにお菓子まで食べて、寝るのは1~2時。今なら間違いなく労働基準法違反だ。そんな酷使が祟って親父は体調を崩す。体というよりも心の方で、幻覚まで見えたと言う。医者の勧めで故郷で療養する事になり、隣町の医者まで母親と通う。病名は「神経衰弱」。さしづめ今ならうつ病なのかもしれない。
やがて回復し、東京に戻って仕事を再開。丁稚時代は給料などなく、映画の切符をもらって月に一度観に行くのが楽しみだったらしい。根が真面目な親父は、他の人よりも良く働き、社長の奥さんに気に入られて、よくこっそりこずかいなどをもらったと言う。
当時の印刷業界は、職人が腕一本で渡り歩く時代。親父もやがてあちこち転職し、その都度給料が上がる。腕も良く、転職先では次の日からすぐトップクラスの時給にしてもらった事もあったらしい。けれどいずれも中小企業の話で、ちょっと大手の印刷会社に行くとたちまち「学歴の壁」が立ちはだかる。私は聞いた事がないが、たぶん自分も高校や大学へ行きたかったという気持ちもあったのではないかと思う。
そう言えば最近、私が大学に合格した時、親父がこっそり合格発表を見に行ったという話を母に聞いた。私が「だれも行くな」と言ったからこっそり行ったらしいのだが(私にはそんな事を言った記憶がない)、ひょっとしたら自分が行けなかった大学に息子が受かって嬉しかったのかもしれない。
エピソードはまだ長々と続く。そんな人生の途中で私が生まれ、弟が生まれ、大きくなって今では一人前の顔をしている。冒険などしそうもない親父が独立したのは、今もって不思議に思うが、自営業になったおかげでたぶん私も大学にも行けたのだと思う。同業者の中には借金を抱えて夜逃げした人もいたらしいが、大きな勝負とは無縁に生涯一印刷屋を通し、無借金で引退した。
嫁姑関係のこじれから、あまり孫には合わせていないのが、今は唯一申し訳なく思うところだ。せめて「本番」の明日の夜は孫からバースデーコールをさせるとしよう。まだまだエピソードを集めたいし、もう少し嫁姑の関係修復に努力して、孫と交流を持たせられるようにしよう。週末にはプレゼントとして好きなワインを届けたいと思うのである・・・
【今週の読書】
2013年2月16日土曜日
日本的意思決定
先日、世話役として参加している社会人向け勉強会で、「日本的意思決定」の話が出た。その中で、ある銀行の頭取が重要案件を決める席上で、「金融庁は何と言っているのか」「前例はあるのか」「他行はどうなのか」という質問をしたと言う。会議に参加していたある外国人が、滑稽に思って広めたらしい。それを聞いて笑えなかったのは、私が銀行員だったからでもあるし、これこそ「日本的意思決定」であると思ったからでもある。
そもそも日本は聖徳太子の時代から、「和をもって貴しとなす」(17条憲法第1条)国である。第2条(仏)よりも第3条(天皇)よりも「和」が先に来る国である。欧米の個人主義は個々の個性が尊重されるが、日本人は「和」である。そうすると、組織における意思決定も、トップダウン型よりもボトムアップ型となる。銀行では、支店長が決めて来た融資案件であっても、担当者が稟議という形でお伺いを立て支店長に改めて承認をもらう形を取るのである。
ボトムアップ型も悪くはない。一担当者が組織に自分の考えを働きかけていける良さがある。しかしながらそこに組織の多数の意見が加わる。全員が一致して無条件に賛成というなら問題はないが、大概はいろいろな意見が出てきて調整が必要となる。どの意見も尊重すると、まとまらなくなる。どうするか。
ここで生きてくるのが、自分達の輪から超越した意見あるいは絶対に間違いのない意見。要は「錦の御旗」であり、過去の成功体験=前例である。そしてそれがなければ、「みんなが同意していること」、つまり「みんなで渡れば怖くない」理論だ。
先の頭取も、欧米であれば一人で決めるだろうが、「和をもって貴し」とする社会では頭取と言えども私利私欲ではない「正しい回答」をする必要がある。だから「錦の御旗」=金融庁の意見、「前例」、そして「みんなの意見」=他行動向を尋ねたのである。
この「錦の御旗」はいろいろと形が変わる。日本が“外圧”に弱いのも、その一種だと思う。最近読み終えたばかりの「ローマ法王に米を食べさせた男」という本にも、「内側の人間は近い人間の悪いところしか見ない」という説明があった。我が子の良いところを近所の人の評価で知るという例だったが、会議で身内の人間が意見を言っても取り上げず、権威のある識者が語っていたりすると信用するというのも同じ理屈だ。
「他所で流行っている」などという説明が説得力を持ち、だから日本人はオリジナルな創作に弱く、モノマネに強い。スティーブ・ジョブズもソニーに勤めていたら、例えアイディアを思いついてもiPhoneは作れなかっただろう。
考えてみれば、「絶対的に正しい答え」などそうあるわけではない。どこかで割り切るしかないが、問題は「誰が割り切るか」だ。個人主義社会では絶対的トップがいるから問題ないし、そもそもそれがリーダーシップの証で称賛される。ところが和の社会では、トップと言えども調和を求められる。
トップが創業者で、「絶対君主」なら問題はないし意思決定も早いが、サラリーマンが階段を上りつめたタイプのトップだと、みんなが正解だと思うような答えを求める。「絶対的に正しい答え」を求めるから、会議の回数も増えるし、意思決定にも時間がかかる。稟議に回す書類の形式でさえ、いろいろ意見がでると収拾がつかず、それを回避するため書式も統一したりする(ここでも前例踏襲だ)。それが高じると「フォント」の大きさや種類を直すという作業に気を取られ、時間を取られる事になる。そうしてようやく晴れて意思決定がなされる。
稟議書の出来栄えは見事だが、ようやく卵が割れた時には、隣では同時に産み落とされた卵から孵ったヒナが成長して次の卵を産んでいたりする。国会議員の削減がなかなかできず、震災の復興が進まないのもある意味必然なのかもしれない。政治家が悪いという指摘も、突き詰めていけばそんなところに当たるのではないかという気もする。
大きな組織になればなるほど、公平性が求められればられるほど、行きつく姿なのかもしれない。そしてそれこそが、我が日本社会の持つ特質なのかもしれないと思うのである・・・
2013年2月9日土曜日
自動改札機
毎日通勤で、そして仕事での移動で電車を利用している。通勤で使っているのはPasmoの定期券であり、それ以外ではSuicaだ。昔のように切符を買うという事はほとんどない。それどころか、Suicaはオートチャージ機能付だから、券売機の前に立つこと自体、半年に一回の定期券の更新の時だけである。便利になったとつくづく思う。
それと同時にふと気がついた。そう言えば、「キセル」もしなくなったと。あまり大きな声では言えないが、昔は何気なくキセルをしていたものである。乗る時だけ最短期間の切符を買っておいて、出る時は定期。それでもって、本来払うべき電車賃を最低金額で済ませていたわけである。正直言って罪の意識なく普通にやっていたものである。
それが自動改札とPasmoとSuicaの登場によってできなくなった。ひょっとしたら、そんな今の環境下でもうまくやる方法はあるのかもしれないが、そんな事に頭をひねってわずかなお金をごまかそうなんて気持ちはサラサラない。それどころか、最近では電車賃にいくら取られているのかさえもほとんどわからないくらいである。たぶん他の人もみんな似たような状況だろうと思う。いくら使っているのかわからないとまではいかなくても、みんな自動改札機でしっかり正規料金を払っているのだと思う。
そう考えると、JRもさぞや儲かっているのかと思って調べてみた。平成10年と24年とで比較してみたら、運輸収入は462億円増えていた。まあこれがすべてキセル分だとは思わないが、かなり貢献しているのではないかと思うが、JRもあまり宣伝しにくい部分かもしれない。
駅員の削減という部分を取ってみても、人件費は大きく減らせただろうし、最終的な利益はかなり増えたのではないかと思う。ひょっとしたら「キセル」という言葉自体死語になっているのかもしれないと、会社で若い女性に聞いてみたら、20代半ばのその女性はまだまだ最後の切符世代だったらしく、言葉の意味自体は知っていた。しかしその言葉が、昔の「煙管」から来ている事までは知らなかった。うまいネーミングだと思ったが、あと10年もしたら死語になっているのではないだろうか。
銀行の店舗では、お客様が入って来た時に、「いらっしゃいませ」と声をかける。これは顧客サービスであると同時に、実は防犯対策になっている。入った途端に声をかけられて注目されているという意識が、悪い事をしようという意識を削ぐ結果になるという心理を利用しているのである。自動改札のシステムも、利便性の提供と同時にずるを防ぐ機能も持っている。「犯罪を取り締まるよりも起こさせないシステム」という意味でも、これはいいと思う。
そう言えばその昔、原宿の駅で駅員さんに捕まった事がある。期限の切れた定期券を使って見つかったのである。その時は途中で気がついたのだが、面倒なのでわからないだろうとタカをくくっていたら、微妙な後ろめたさが態度に出たのか、不自然なしぐさが注意を引いたのか、しっかり見つかってしまった。
嫌な体験だったので今でも覚えているが、あの時の駅員さんもきっとそうだっただろうし、そうした“嫌な体験”を防ぐ役にも立っているだろう。世の中どんどん便利で快適になっているが、こうした“死語”が増えていく事は歓迎すべき事態だろう。あとは乗客のマナーだろうが、これはなかなか一朝一夕というわけにはいかないのだろうなと思うのである・・・
【今週の読書】
2013年2月3日日曜日
マニー・パッキャオ
先週NHKで一人のボクサーの特集をやっていた。その名はマニー・パッキャオ。フィリピン人ボクサーで、有名なオスカー・デ・ラ・ホーヤに継ぐ史上2人目の6階級制覇を成し遂げた実力者のようである。
私は、もともとボクシングは嫌いではなく、たまに観ていたりしたし、かつてマイク・タイソンの試合には随分熱狂していた事もあるくらいなのだが、この選手の事はこれまで全く知らなかった。
6階級制覇と言われても、今は階級が細かく分かれ過ぎているからピンとこない。昔はボクシングの階級は、フライ級、バンタム級(矢吹丈はバンタム級だった)、フェザー級、ライト級、ウェルター級、ミドル級、ヘビー級などとシンプルだったが、今はスーパー○○級やクルーザー級、ミニマム級など複雑に分かれ、何と17階級もあるようだ。○階級制覇という言葉もよく聞くし、ナンボのものかと思ってしまう。
しかし、デビューから20キロも上のクラスで戦っていると聞くと、「それは凄い」と単純に思ってしまう。ラスベガスを中心にペイパーヴュー方式で行われるアメリカのボクシング興業は、巨額のマネーが動く。マニーの試合は人気が高く、なんとファイトマネーは1試合30億円だと言う。もう庶民には想像もできない。
確かに番組で垣間見るマニーの試合スタイルは、派手なノックアウトシーンが多く、観客の興味がそそられるのもよく分かる。だが、私が興味をそそられたのは、ファイトスタイルではなかった。ケタはずれの報酬を稼ぐマニーだが、普段は出身地のミンダナオ島に住み、地元の古ぼけたジムで幼馴染みとトレーニングをしている。
フィリピンでもミンダナオ島は貧しい地域で、マニーも子供の頃は日々の食事にも事欠く有り様だったようである。見事なサクセスストーリーだが、それも興味の対象にはならない。興味深かったのは、今でもミンダナオ島に住んでいることだった。普通、ハリウッドあたりに豪邸を建てて、贅沢三昧の暮らしをするだろう。それがアメリカンドリームで、みんなそうしているし、結局マイク・タイソンもそれで身を持ち崩したのではないかと思っている。
アメリカでは一部の金持ちが富を独占しているから、そうしていても不思議はないし、当然そうしていると思うのだが、彼はいまだにミンダナオ島に住んでいる。そして有り余るファイトマネーで、学校を作り、体育館を作り、台風で深刻な被害を受けた地域に15,000人分の緊急支援をしている。富を独占せずに、生まれ育った地元に還元し、自分もともにみんなと暮らしている。そんなところに心が動いてしまった。
昨年12月に行われた試合。故郷ではみんなが一台のテレビを囲んで応援している。しかし、その試合でマニーはライバルに壮絶なノックアウト負けを喫する。負けて故郷に帰った彼を迎えたのは、地元の人々の熱狂的な歓迎。ろくに舗装もされていない道路の沿道で、大人から子供までみんなが彼の乗る車に殺到する。彼の手にしたものは、巨額のドルではない。
日本人にも世界チャンピオンはいるが、ラスベガスで試合をするような選手はいない。それはなぜなんだろうとふと思う。亀田兄弟とか少し前の浪速の辰吉とか人気選手がでたりするが、いかにもローカルチャンプである。ハングリー精神の違いというのもあるかもしれないが、それだけだろうかとも思う。詳しい事情はわからないから何とも言えないが、その理由には興味があるところだ。
マニーの次回の試合がいつになるかはわからないが、ちょっと注意していて、次回はWOWOWあたりでやるだろうから、是非ともTV観戦したいと思うのである・・・