2012年6月26日火曜日

御代田のこと

 先週末、伯母を見舞いに長野県の御代田へ行って来た。伯父の葬儀以来である。よく「第二の故郷」という言葉があるが、御代田はまさに私にとって第二の故郷と言える場所である。御代田は避暑地として有名な軽井沢のちょっと先、知名度は軽井沢ほどではない小諸の少し手前という、ちょうど両者の中間あたりにある小さな町である。

 浅間山が目の前に大きく広がるこの地に、伯母の家族が居を構えている。私は小学校3年の時から、毎年春と夏の休みにここに遊びに来ては、一つ年上の従兄と遊ぶのが無上の楽しみであった。当時は信越線の急行電車で、上野から3時間。小学校3~4年の頃は、道中の一人旅は心細くて仕方がなかったが、それ以降はワクワクしながらの旅だった。今は関越自動車道が出来て、練馬のインターに近い我が家からは約2時間ほどで行けてしまう。

 佐久のインターを降りると、「峠の釜めし」の看板が目に入る。昔は横川の駅で、短い停車時間にヒヤヒヤしながら釜めしを買った思い出があるが、今は新幹線と関越自動車道で元の場所はすっかり寂れてしまったのだろう。こんなところまで出店してきているようである。「峠の」という言葉には、舌で味わえない味わいがあったのだが、インターの出口ではその味わいも薄れてしまう。

 懐かしい伯母の家に着くと、草と土の匂いが漂ってくる。畑で作業していた従兄の兄と姉が迎えてくれる。草むしりを手伝うと、ミミズや小さな虫たちが草の根とともに溢れ出て来る。少し前にもぐらを捕まえてそばの沢に捨てたと教えてくれる。もぐらも餌が豊富でいいのだろう。そばの沢と言えば、昔伯母が、当時飼っていたネコが生んだ子ネコをまとめて「ぶちゃやった(捨てた)」のを思い出す。あの頃からもう30数年にもなる。

 伯母の家の敷地内はそれなりに変化を遂げているが、周りの環境は劇的に変わっている。大きな道路があたりを切り開いて通り、目新しい今風の家が立ち並ぶ。昔遊んだあたりを散策しようと思っても、見覚えのある風景はだいぶ変わり果てている。浅間山から流れ出た溶岩が固まって小高い丘になっているところに、飯玉神社がある。昔伯母さんにおにぎりを作ってもらって、従兄とそこに行って食べた事がある。大人の足だとものの5分で着いてしまう。昔はもっと遠かった気がするのだが・・・

 車で遠出すれば、今では国道沿いに見覚えのあるチェーン店が軒を並べている。その風景だけ見ていると、どこの町だかわからない。かっぱ寿司やスシローなどの回転寿司チェーンも当然のようにある。丸亀製麺だってある。住んでいる人たちからすると、随分便利に、そして快適になっているのだろうが、何だかどこかよその町並みのように思えてならない。

 人も世も街も移ろいゆくもの。それはやむをえない変化なのだろう。あの頃の風景をもう二度と見られないと思うと、何だか寂しい気がする。もう一度上野駅に戻って、いつも乗っていたあの急行電車に乗れば、あの頃の御代田に行けるのかもしれない、などと想像してみる。

 横川を過ぎると、碓氷峠のトンネルが連なり、それを数え続けていると軽井沢に着く。
そのあたりから、降り損ねてはいけないと降りる準備を始めてそわそわし始める。
中軽井沢を過ぎ、信濃追分を過ぎるともう次の駅。
ドアの前に立って、外の景色を眺めている。
電車が駅のホームに入ると、気分は最高潮。
切符を握りしめて外へ飛び出す・・・

 ロンドンのキングス・クロス駅の9と3/4番線ホームのように、上野駅にも信越線の急行電車が止まるホームが、もしかしたらまだあるのかもしれない。そんな想像をしてみると、なんだか心穏やかな気持ちになる。年はとっても従兄は変わらない。今回はあまりゆっくりはできなかったが、また時間を作って行く事にしよう。そんな気持ちになって帰ってきた。

 帰ってくると、見慣れた我が家がまた元の日常生活に戻った事を実感させてくれたのである・・・

【本日の読書】

坂の上の坂 - 藤原和博  蒼穹の昴(4) (講談社文庫) - 浅田次郎






2012年6月19日火曜日

習い事

 息子は現在、週に一回スイミングとダンスに通っている。いわゆる習い事というやつだ。スイミングは娘もやっていたが、今は塾通いで1年間の休会中。娘はその他に英語教室にも通っている。習い事というのは親の意見がかなり大きくモノを言う。スイミングなどは二人ともベビーのうちから連れて行っていたから、嫌も何もない。物心ついた時にはすでに通っていた状態である。水泳は私も妻も子供の時に通っていて、やっぱり泳ぎくらいはできるようにしてあげたいと意見が一致したのである。

 息子のダンスは偶然の産物。本当は空手を習わせたいと考えた妻が、息子を連れてスポーツジムに見学に行ったところ、たまたまダンスのレッスンをやっていて、子供の生徒を募集していたそうである。学校でもこれからはダンスも必修科目になると騒がれているが、こればっかりは両親とも教えられないし、聞いたら本人もやりたいというので、入ってしまったらしい。

 そもそも私は柔道をやらせたいと思っていたのだが、妻は「ガニマタになる」と反対。空手よりも柔道の方が実践的だし、ここは譲れないと思っていた。議論は確か平行線だったはずなのだが、平日に自由時間があるという利点を活かし、妻が強行突破。由々しき事態なのだが、結果的には「なんじゃそれは」という展開になってしまった。それにしてもダンスが必修というのも、気の毒というか、昔でなくて良かったというべきか・・・

 そういえばその昔、銀行のラグビー部時代に練習でエアロビクスをやった事があった。シーズン初めの頃に、リラックスして体を動かそうという意図だったと思う。講師の先生を呼んで(もちろん女性だ)、音楽に合わせて芝生の上で体を動かした。若い女性のインストラクターとむさっ苦しい男ばかりの集団だ。傍から見ても、けっして良い眺めではなかったと思う。

 始ってみたら実は凄く大変だった。動きもそうだが、それ以上に音楽と先生の動きに集中していないと続けられないのだ。うっかり隣の人なぞ見ようものなら、その奇怪な動きが面白過ぎて、とてもではないが踊るどころではなくなってしまうのだ。そういう自分もかなりまずい状態であるという自覚症状はあった。ちなみに、エアロビを練習に取り入れたのは、それが最初で最後だ。まあ今からやっておけば、学校でもそれが原因でいじめられなくて済むかもしれない。

 娘はスポーツではキャッチバレーをやっている。運動神経はママに似てしまったためか、どうも不器用なようだ。友達と比べると体は大きいくせに、サーブが入らないという。休みの日に一緒に練習したりしているが、まだまだもう少しのようだ。

 息子には3年生くらいになったら野球をやらせようと考えている。ラグビーも大事だが、まずは野球。日本人の国民的スポーツでもあるし、小さい時分に基礎的な事はやらせたいと思う。その時期が来たらグローブを買って、キャッチボールから始めるつもりだ。問題は、キャッチボールをやる場所だ。家の前は、周囲の家が気になってしまう。都会はこういう点では実に不便だ。

 娘にピアノという話もあったのだが、本人があまり乗り気でなかったのもあって、やらせずじまいになってしまった。ある程度は親がやらせる事も必要なのだが、そこまで踏み込まずに終わってしまったのだ。考えてみれば、私も小学校3年の時に習字を習いに行った。母親に言われたからだが、何の疑問も持たずに通ったものだ。6年生くらいの時には、塾に行けと言われたが、拒否したのを覚えている。この頃になると自我も強くなるのかもしれないし、息子に何かやらせるなら3年生くらいまででないと、本人の反対がでてくるかもしれない。

 いろいろ興味をもって周りを見渡せば、面白いものもあるだろう。楽しみながらやれて、将来何かの役に立つようなもの。我が子のためにそんなものがあればと気をつけていたい。親として、興味のアンテナを張り巡らせておきたいと考えているのである・・・


【本日の読書】

奇跡を呼ぶ天使の贈り物 - 中井 俊已 蒼穹の昴(3) (講談社文庫) - 浅田次郎





2012年6月14日木曜日

息子よ

 長男は、いわゆる「試験官ベビー」だ。娘が生まれた後、二人目が欲しいという事になったが、医者の話では初産の時の影響もあって難しいかもしれないとの事。可能性として話を聞き、ダメ元でやってみる事にしたのである。周りには随分深刻そうな人もいたが、実にスムーズに懐妊。「どちらでも良いけど、どうせだったら男の子がいい」という私の気持ちが通じたのか、まさに立ち会い出産の目の前で長男誕生となった。

同じように育てているが、男の子と女の子の違いなのか、二人とも随分性格は違う。
まあ男兄弟でも、私と弟とでは性格も随分違うから何とも言えないが、扱いにくさにかけてはさすが男の子だ。娘をひっぱたいた事は今までに一度しかないが、息子の方はもう何回もある。
お姉ちゃんを叩いて泣かせた事もあるから、さすが男の子と言える。

男と女の違いが、自然と現れてくるのは実に不思議だ。
赤ちゃんの頃は同じだが、いつのまにか違ってくる。
教えたわけではないのに、息子は自然とミニカーやプラレールに興味を持ち、戦隊モノや仮面ライダーが好きになり、今はウルトラマンシリーズにハマっている。
けっしてお姉ちゃんのお下がりで遊んだりはしなかった。

さらに性格は私とまったく違う。ひょうきんモノで、学校では常にみんなの笑いを取っているらしい。私などは親父似で、クソ真面目で面白味に欠けるところがあるが、息子にはその片鱗すらない。小学校では担任の先生に、「元気が良すぎるお子さん」との評価をもらっている。保護者会でみんなの前でそう言われ、わかる人にはすぐに誰の事だかわかったらしく、妻は赤面の思いだったそうである。

まあそういう明るい性格が天性のモノだとしたら、それは持たざる者からすれば、なかなかの財産だと思うから、そのまま伸ばしていってもらいたいと思う。
たぶん、私よりも友達がたくさんできるだろう。

親父として力を入れたいのはスポーツだ。
幼稚園の時は、とにかくかけっこに力を入れた。
運動会の前には一緒に走って、練習させた。
その成果はあったし、やはり運動会で活躍するくらいでないと我が息子とは呼べない。
小学校に上がり、随分とライバルもいるようだが、これからしっかりサポートしていきたいと思う。

息子が生まれたらキャッチボールをするというのが、よくありがちな父と息子のイメージだが、それはもうやっている。まだグローブは早いので、柔らかいボールを使っている。この頃投げるのも捕るのも様になってきた。野球好きの義理の弟は、早くもグローブ選びに入っているらしいが、援軍には事欠かない。いずれラグビーの楽しさも教えて、その道に導きたいと考えているが、今のところ「将来の夢は野球選手」だ。

私は家で野球をほとんど見ないのに、どうしてそんな夢を持つにいたったのか不思議だ。
大阪に住む義理の弟に、本場の甲子園大会に連れて行ってもらった影響もあるのだろうか。
私も中学までは野球少年だったし、我が国の国民的スポーツである野球も悪くはない。
いずれラグビーの面白さにも目覚めてもらいたいと思うが、それまではサッカーなどの横道にそれないようにうまく導いていきたいと考えている。

いずれ息子も大きくなって、嫁と姑との間で頭を抱える日が来るのだろうかと、漠然と思う。ずいぶんと気が早いと思うが、その時に良いアドバイスができるように、今はしっかり人生修業に励む時だと考えれば、私も今の生活に少しは意味を見いだせる気がする。娘は娘で良いが、息子はやっぱり男同士の絆がある。家庭内では貴重な援軍になってくれるかもしれないし、これからもコミュニケーション豊かに接していきたいと思うのである・・・


【本日の読書】

灘中奇跡の国語教室 橋本武の超スロー・リーディング (中公新書ラクレ) - 黒岩祐治  蒼穹の昴(3) (講談社文庫) - 浅田次郎






2012年6月10日日曜日

大先輩

 お手伝いさせていただいている母校の財団法人。ここが主催している社会人向け講座「寺子屋小山台」のイベントとして、母校の先輩である菅直人元総理をお招きしての講演会があった。参加者は寺子屋小山台の卒業生プラス関係者で、総勢60名程度。少人数で密度の濃い一時を味わった。

内容は1時間の講演と1時間の質疑応答。そして懇親会という流れ。1時間の講演では主に原発問題と再生エネルギーについてのお話。ご自身、これからの政治テーマとして力を入れているようであり、熱の入ったお話を聞く事ができた。

菅総理と言えば、今でも悪評が高い。マスコミでは散々批判されてきたし、今でもされている。「メールが100万通来ればそのうちの999,999通は批判だ」と自虐的に語られていたが、ご本人もよく自覚されている様子。ただ、「もともとマスコミ情報は偏見に満ちていてそのまま信用するには値しない」と考えている我が身としては、自分自身の目と耳で判断する良い機会だった。

 脱原発という事では、私自身も強力に賛成しているので主張するところに異論はなかった。孫正義さんとともに、頑張っていただきたいと素直に思う。質疑応答では、プライベートな部分の披露もあって楽しめた。生協を利用しているという話には、我が家の奥様も「毎週マークシートでチェックしているのかしら!」と驚いていたほどだ。

「日本の総理大臣は国会に拘束される時間が長すぎる」という話は、マスコミを通しては聞けない話だ。そのために外交などに十分な時間が割けないのだと、イギリスの政治を例に説明していただいた。これは菅総理に限らずの問題で、「自民党も良く分かっているはずだから、今後どちらが与党・野党になっても配慮すべきではないか」というご意見であった。今後そうなっていくのかどうかは興味深い。

懇親会ではみんな記念写真を撮りまくる。
一人輪の中心で元総理もなかなかのご機嫌。
持参したipadでホームページの説明などをしていただく。
フェイスブックはやっていないそうだ。

一緒に来ていた秘書の方にも話を伺う。
メールやFAX、電話などの「声」はかなりのものらしい。
事務所に来るものだけでも、メールは1日あたり「万単位」だという。
しかし考えてみれば、それだけ関心が高いとも言えそうだし、国民の政治参加意識も高まっているのだろかとふと思う。

賑やかな会場で飲み食いせずにいたのがSPの方。
ビールを勧めてみたが、さすがに断ってきた。
ならばとソフトドリンクの勧めにも、「トイレが近くなりますから」と断られた。
SPのバッチをつけてつかず離れずの状態。
あまり話しかけても迷惑そうだったのでほどほどにした。

「民主党は消費税を上げる前にやる事があるのではないか」
参加者からずはりと質問が出た。それについては、マーケットによる(国債)金利上昇リスクが待ったなしという説明であった。異論はあるが、それはそれで一つの考え方だ。

 せっかくの機会だし、聞いてみたい事は他にも山のようにあった。民主党の事、小沢さんの事、対米・対中関係の事、総理大臣としてやりたい事はできたのか、何ができなかったのか、日本の進む道は・・・少人数の会で密度が濃かったと言えど独り占めというわけにもいかず、次の機会があればまたお楽しみといったところだろう。

 せっかくの母校の先輩だし、脱原発というところでは大いに賛同できるし、これからそういうところで応援しようと思うのである・・・
  
      

2012年6月5日火曜日

娘よ

男の第3の価値は言葉であり、
 第2の価値は行動であり、
  第1の価値は何より生きる姿勢である
里中 満智子
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 娘は今年、年女だ。年男の私とはちょうど3周り違う事になる。12年という歳月は、長くもあり短くもある。生まれる前は男でも女でも、どちらでも良かった。昔は「跡取り」という意味が強かったから、男の子が生まれる事を望んだのであろうが、今はもうそういう時代でもない。むしろ「一姫二太郎」で、初めは女の子がいいかなと思っていたほどである。そして、その通り女の子が生まれた。

 女の子を持つ男親は、ボーイフレンドができるのを好ましく思わなかったり、一緒にお風呂に入れなくなった時にショックを受けたり、結婚に反対したりというイメージがある。自分もそうなるのだろうかと漠然と思っていたが、実際にはまったくそうではない。娘は今好きな男の子がいて、どうも片思いみたいなのだが、なんとかうまくいくようなアドバイスでもしようかという気になるし、風呂はいつまで一緒に入るべきなのか、逆にこちらが悩むくらいだ。たぶん、結婚相手を連れて来たら歓迎すると思う(とは言え、まあこればかりは相手次第だと思うが・・・)。

 女の子は育てやすいとよく言われるが、男の子を持つとそれを実感する。比較的よく言う事を聞くし、素直だ(男の子は何か言えばまず否定の返事が返ってくる)。今はやむなく中学受験に向けて受験勉強中だが、真面目によく勉強している。むしろこちらが逆に休憩を取らせようかと思うくらいだ。まあ真面目人間の血は、私の父から続く遺伝みたいなものかもしれない。

 週末はキャッチバレーに通っているのだが、どうも運動神経は今一のようだ。これは母親に似たのかもしれない。そのキャッチバレーで親の人手が足りないという話になり、妻が私に手伝いに行かせようと考え、娘に相談したらしい。そしたら娘が反対したと言う。その理由は、「パパはカッコよくないから友達に対して恥ずかしい」というものらしかった。

 家ではいつも好意的に接してくれているのだが、心の中ではそんな事を考えていたらしい。もっとも妻が本人の前で、得意気に私にそれを伝えようとしたところ、本人は猛烈に反対した。私が傷ついたら可哀そうだという気持ちがあったらしい。最近では妻よりも娘からの愛を強く感じる一幕だ。

 そろそろ夏休みの準備の季節だが、今年の夏はどこへも行けそうもない。塾に通う娘が、合宿に行きたいと言い出したためだ。受験自体、目指していた近所の都立高校が中高一貫になり、友達と話したりしているうちにそんな気になったらしい。塾も妻が勧めはしたが、強制はしていない。合宿もバカにならない費用もかかるし、と思って躊躇していたら、自分から言い出してきた。まさかダメとも言えない。まあその分、来年カバーするとして、今年の夏は近所のプールくらいで終わりそうである。

 まだまだ子供だと思っていたが、だんだんと胸の膨らみも目立つようになってきたし、先日ダウンした妻に代わって洗濯物を干した時などは、娘がほとんどやったのだが、なかなか見事な手際だった。風呂掃除などもいつのまにか上手にこなすし、家事ではかなり頼りがいがある。それはそれで頼もしいが、そのうち妻とグルになって私を粗大ゴミ扱いしないかという危惧がなくもない。だが、そこは娘の愛を信じるとしよう。

 これから年々成長していくのだろう。だんだん大人びて、そのうち大人の会話ができるようになるのだろう。嫌われない父親になるためにはどうするべきだろうか。無償の愛の効果が続いているうちに、そろそろ本腰を入れて研究しないといけないかもしれない。

 そしてそれも大事だが、自分がいろいろと経験してきたものを伝えてあげたいとも思う。そうすれば、過去の自分の失敗も少しは活きるというものだ。そうしたものを語る言葉を持ちたいと思う。そして生きる姿勢。それを示せるように、これからも精進しようと思うのである
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【本日の読書】

世界は危険で面白い - 渡部 陽一 蒼穹の昴(2) (講談社文庫) - 浅田次郎





2012年6月1日金曜日

誕生日

 毎年誕生日にはあれこれと考える。昨年は母親の具合が悪く心配な状況であったが、今年は母親の体調も落ち着いていて、ちょうど今日は自分の妹(私の叔母だ)一家と韓国へクルーズに出掛けている。息子である私との旅行は、何だかんだと都合が悪くて実現していない。叔母一家は嫁姑問題もないようだし、同居で仲も良いようだし、そんな家族と触れ合って何を考えているのだろう。

 誕生日だとは言え、昔と違って何か特別な感慨があるというわけでもない。いつもの朝と同じように起きて髭を剃った。雨戸を開けてまばゆい朝の光を浴びたが、その光が何か特別なものとも思わなかった。48回目ともなればそんなものなのかもしれない。

 一日という日付は物事の始りとしては、誠に都合が良い。神道には一日の始りである朝の時間と、一ヶ月の始りの一日と、一年の始りである元旦には神事があるそうだ。そういうわけではないが、誕生日が一日というのはキリがいいと昔から感じている。

 いつものように通勤。さっそく先日受けた健康診断の結果が返ってきた。昔は何も気にしなかったが、この頃は封を切るのにちょっとドキドキする。取りあえず再検査等はなかったが、コレステロール系には注意マークが散乱している。「心配のない軽微な異常」という今まで見た事もなかったコメントもある。原因は運動不足だろう。

 そんな中、尾崎紀世彦の訃報が流れる。こういうニュースも多くなるのだろう。夕方には大きな地震。「今回は自宅まで歩いてみようかな」などと揺れる中で漠然と思う。昨年の震災時は、自宅より近い実家へ2時間かけて歩いて行った。次回は自宅まで歩いてみようと思っている。推定予想時間は5時間。歩くしかなかった時代の事を考えれば、どうという事はない。

 今日は幸い金曜日だし、などと考えているうちに揺れはおさまった。昨年の誕生日から一年たって、親との関係はだいぶ改善しつつある。されどまだベルリンの壁は残っている。東と西とうまく往復しながら、両方の世界をうまく維持しないといけない。今年一年でもう少しデタントが進むだろうか。難しい舵取りを、もう一年やらないといけない。そんな私の目の前に、もしも尻尾を生やした悪魔が目の前に現れて、何か望みを叶えてやろうと言われたら、今なら我が嫁と姑に「寛容の心」をプレゼントしてほしいと望む事だろう。

 帰宅すれば子供が玄関まで迎えに出てくれる。今や見送りもお出迎えも子供だけだ(お出迎えは今日だけの特別だったようだ)。一人夕食を取る周りでは子供たちが走り回り、妻は妹と電話でおしゃべりをしている。その昔、将来結婚して子供ができた後の自分の姿を想像した事があるが、あの頃夢見た未来が今実現していると、ふと感じた。どうせなら億万長者を夢見ていればよかったと思う。

 良い事とそうでない事。幸せと幸せまであと何キロというものが混在している。今ある良きものを大事に守りながら、もう少し攻めてみるのも良いかもしれない。まだ守りに入る年でもないし、まだ頑張れる。今よりももう少し良き息子・良き夫・良き父親・良き友人・良き同僚・良き隣人・そして良き日本人になれるようにしたい。

 どんな48歳を過ごすのか、自分でも楽しみにしたいと思うのである・・・

【本日の読書】

逆境を生き抜く力 - 我喜屋優 1Q84 BOOK 3 - 村上 春樹